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台湾台東に関わって40数年、その間に経験した楽しかったこと面白かったことびっくりしたことなど、現地の状況や日本との比較なども含めて紹介したいと思います。
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「小説を読んで気が付いたこと」   2013.8.10
                                 
対象となる小説:
『路(ルウ)』吉田修一  文藝春秋  2011年11月20日 第一刷発行


<小説中の中国語の「かな」および「カタカナ」表記ルビについて>

 もともと外国語をカタカナ表記するのは難しいのですが、過去50年間日本の統治下にあった影響でかなり多くの日本語が外来語となっている台湾で、中国語や台湾語を表記するのはさらに難しいものです。
 中には、日本統治時代からの曰く因縁や歴史が染み込んでいる言葉もありますが、お構いなしに適当に日本語発音をしている旅行案内なども見受けられます。
 ルビはピンインで表せば絶対ですが、ピンインで書いても中国語を勉強していない日本人読者には正確な発音はできません。
 かろうじて残された道は、出来るだけ中国語や台湾語に近い発音のルビをふることです。そして、日本人に馴染みのある地名などはそのまま日本名でルビをふるほうが読みやすくなると思われます。

『路』では、「台湾語発音のルビ」「中国語発音のルビ」「日本語発音のルビ」の3種類をその難しさの割には良く考えて使い分けて表記されていると感心していましたが、途中からかなり気になる表記があったり全くの間違えだったり、表記の統一性があやふやだったりと、読みづらい部分も多々でてきました。
 以下にその箇所を記しておきますので、刷りましの時には訂正をしていただければと思います。

 *全部読んでみて、中国語の無気音と有気音に関しては、「無気音を濁音」そして「有気音を清音」でルビ表記しているように受け取れますが(P22 中華路夜市 ジョンホアルウイェシィP251 乾麺 ガンミェン、P294 公館 ゴンガン、)、、、、やはり統一性がありません(P82 台中 タイチョン、 P83 中山北路 チョンサン、、、)。

P39 敦化南路 トンファンナンルウ(誤)→トンファナンルウ(正)

   *ここは、もし有気音無気音のことを表すならば ドンファナンルウが 
    最も良いと思いますが、、、、、。敦→dun
   *さらに、林森北路は リンセンベイロウになりますが、、、。

 日本語には無気音有気音など無いのだから、適当で良いではないかと思われるかも知れませんが、日本語にも有気音と無気音の区別があって、使っている日本人が知らないだけです!

 例えば 開花 階下 の花と下は「か」と発音しますが、花は無気音の「か」で「下」は有気音の「か」(少し喉から音を出すような)なのです。詳しくは小生のブログ「Formosa(福爾摩莎)台湾/台東—40年—」の日本語と中国語をお読み下さい。
http://ohitoyoshi1948.blog.fc2.com/blog-category-23.html
    

P84 請到 ティンダオ(誤)→チィンダオ(正)
請→qing

   好 ホゥア(誤)→中国語なら ハオ、 台湾語なら ホー


P280 台北松山空港  しょうざん(誤) →まつやま(正)
   「松山」を「しょうざん」と言っている現地の人がいるのでしょうか?
   それとも何処かの台湾通と称する日本人がそう言ったのでしょうか?

   松山を「しょうざん」とは、、、??
   私は47年台湾を行き来していますが、初めて聞きました!

  中国語発音では「ションサン」(songshan)ですから、「しょうざん」は
  中国語発音に近いですね。


<台湾語発音の食べ物>
台湾庶民に親しまれている有名な食べ物は、台湾語で呼ばれることが多いです。

 この小説の中でも、「蚵仔煎、オアチェン」(カキのお好み焼き)や「肉圓、バーワン」(台湾風肉団子のようなもの)は台湾語発音です。

 P116「生煎包、ションジェンパオ」は、最近では色々なパターンのものがあって一概には言えませんが、本来の「生煎包」はどちらかというと日本の「お焼き」に近いものです。文中では、「普通の肉まん」と書いていますが、普通の肉まんは焼いたものではなく蒸したものです。
 「かわいい、かわいい」と日本人観光客の若い女の子が言っているとあるので、屋台で作っているまだ焼いていない生のものを指しているのだと思いますが(見方によっては可愛く見える)、肉まんは「包子」とか「肉包」と言ってあくまでも蒸したものですから、台湾人からみても「生煎包」は「普通の肉まん」ではありません。

<気になった風景描写>

 小説の中で一貫して樹木は「ガジュマル」、畑は「グアバ」のようで、台湾中がそんな風景に見えるように感じましたが、台湾も結構植物には恵まれていて、街路樹にはクスノキ、インドゴムノキ、フウ、小葉欖仁、モモナマナなどいろいろあります。

 畑もグアバだけではなく、モッカ(パパイヤ)、バナナ、シャカトウ、トウモロコシ、サツマイモ、キンマなどなど、、、、。

 P440 「椰子の原生林」とありますが、ヤシの原生林が残っているところは台湾にはありません。日本でも、沖縄の離島「石垣島」や「西表」くらいでしょう。台湾新幹線が走る沿線のヤシは全て植林によるものです。
 
 P440 「用水路を攪拌する水車」とありますが、用水路ではなく「養殖池」です。用水路を攪拌して何をするのでしょうか?


作者と出版社へ;

私達読者はお金を払って本を買って読んでいます。
私は理系人間ですが、自分の仕事には責任を持ってやってきました。
どんな職業でも、ミスは決してしてはなりませんし、皆それぞれ一生懸命に日々努力しています。
そうはいうものの、確かにどんな人間にもミスはつきものですが、
もしそれが判明した時にどういう態度を取るのかが問題です。

私は自分自身日本語が出来ないので、小説家を尊敬してきました。
しかし、ある時有る有名小説家の文中の物理的な不具合を発見して周りの人にその事を言いましたが、皆そんなこと見つけても何もならないでしょう?と言われ愕然としました。

政治家でも発言ミスは頭を下げて訂正します。
新幹線の設計ミスは、人命に関わるかも知れません。
なぜ小説家や出版社だけがミスを許されるのか?

それとも、私が指摘していることはミスにはならない、、、
ちょっとした愛嬌で済むことなのでしょうか?

もしそうなら、愛嬌だらけの本はもっと安く売って下さい!
昔の本はこのようなことはとても少なかったように思います。

はっきりミスだと分かっていることですから、
後は大人としてきちんと始末を付けて欲しいと思います。
 
台湾とは長い付き合いだったので、その分期待して読んだ本でしたが、
ちょっと残念でした。
 
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[2013/08/22 13:15] | 雑記帳
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有島武郎『或る女』の感想など

<対象小説>
i文庫 或る女 前編(岩波文庫 1992年11月16日 第42刷発行)
i文庫 或る女 後編(岩波文庫 1998年11月16日 第37刷発行)

<小説「或る女」とは>
前編は「或る女のグリンプス」として1911年1月の白樺の創刊号から1913年の3月までに16回に渡って
連載されたものです。
後編は1919年前編と共に書き下ろしで「或る女」として刊行されました。

粗筋は、、、、
まだ十代の終わり頃に、作家の木部孤笻と恋愛し結婚したが破綻した早月葉子は妖婦的性格を帯びた女で、いま母の示唆によって米国シアトル滞在中の木村貞一と結婚するため船に乗っている。葉子の母は女権拡張運動を行っており、葉子も新時代の女としての理想を持っていたが、美貌と女としての魅力を社会で成功するために利用して良いという考えを持っていた。
葉子は船内で知り合った若い男を嘲弄し、遂に船の事務長倉地と恋におち、シアトルで木村に会うと失望して、そのまま帰国の船で日本へ帰り(ここまでが前編)、妻子のある倉地と生活をともにし始め、世間の非難を浴びる。最後に葉子は病死してしまう。
(一部Wikipediaより引用)

<普通の感想>(単純に思ったことと内容で気になったことなど、、、さらに間違いや疑問なども)
        ※印は最後に<単語集>として記しておく

1.連載の前編の書き方と書き下ろしの後編とでは以下の点で大きく違いが見られた。
  ・前編ではあまりにもカタカナ英語(※19、ごく普通のカタカナ英語は含まず)と英語(※37)が多い。
  ・前編ではとにかく修飾語が多く、表現の氾濫が多くとても読みづらい。
・ 後半ではカタカナ英語(※17)と英語(※2)、前半では主人公葉子の感情のあらゆるものを追求しよう
として表現での氾濫(修飾語の多さも含む)が見られたが、後半の文はそれからかなりスッキリして読みやす
くなった。

  前編は、このくらいの英語が分からないやつは俺の小説は読まなくて良い! とでも言いたげな、私のような者
  にとっては高慢な小説家としか思えないような感じでしたが、後編は何だか自分でも(あるいは人から言われて)
  もう少し読み安くと思ったのでしょうか、本当に読みやすくなっていました。

2.男女の心の奥深い部分の洞察と時代や風潮の正確な観察力で描かれた読み応えのある作品でした。

3.読み終わった感想は「後味が悪い!」 尻切れトンボのような感じもあるが、何か全体的に閉塞感を感じさせる。

4.葉子の病気が悪化していく頃の最後の場面では、葉子は26歳とは思えないまるで中年おばさんのように思えるのは
  どうしてだろうか? 主人公葉子はまさに作者有島の凄惨な自画像とでも言えるから、書いた時の有島40歳頃の気  
  持ちが入り込んだのか?

5.有島が軽井沢で波多野秋子と縊死心中した思いが何だか伝わってくるような気がした。

間違い?

1.後編の中で「ヤブ蚊の蚊柱が立っている」と言う表現があるが、ヤブ蚊は特別な場合以外は蚊柱らしい物も作らない!
  蚊柱を作るのは、イエ蚊の仲間(アカイエカ、コガタアカイエカ)やユスリカの仲間です。
2.前編に出てきた「ディワン」(divan,壁に沿っておく背もたれのないクッション付きの長椅子)が後編では
  「ディバン」となっている。間違いとは言わないが、統一して欲しかった。①
3.前編後半部、Seattle のスペルが Seatle になっている。②

  ①②は、パソコンへの打ち込みミスと考えられるが、、。 

<他の小説との比較>
1.「アンナカレニーナ」(1877年露)「ボヴァリー夫人」(1857年仏)「或る女」(1919年日)の共通点
  主人公:美しく魅力的、やや神経質っぽい、必ず夫かあるいは許嫁がいる
      浪費癖がある、見栄っ張り、妄想家
      すいつも自分にとって悪い方に考えて→そして勝手に激怒する
  夫や許嫁:普通に良い人、主人公に夢中
  主人公の女は別の男に走る、そして男と共に破綻・破滅
  
  *有島は上の2作品を読んでいるはずだが、何らかのヒントを得ているのだろうか?


2.夏目漱石「行人」(1912−1913年、朝日新聞連載)
  
  後半葉子が狂って行くところが、行人の一郎を思わせるようだ。
  確かに一郎は自分の妻の直を疑い、二郎に頼んで二人だけで旅行に行かせて直の節操を試させるというような
  ちょっと信じられないようなことをする男である。

  漱石はイギリス留学。有島はアメリカ留学。
  二人の直接的な接点はないが、漱石からの影響を受けていることも考えられるが、、、、。

  有島武郎の「宣言」(1951年、角川書店)、夏目漱石の「こころ」(1914年、岩波書店より自費出版)、
  武者小路実篤の「友情」(1920年、以文社)の共通点は、、、、
  敢えてまとめて云えば、男二人が女一人を巡ってあれこれお話が展開していくという内容。

  有島が、漱石や実篤の影響を受けていることも考えられます。

<登場人物のモデルについて>

 作家であり精神科医でもある加賀乙彦(日本の近代文学のなかで傑出した作品をひとつあげよと言われたら、
 ためらいなく「或る女」をあげる言っている)は、新潮文庫版「或る女」の解説に、小説を読むのにモデルの
 詮索は無用、モデルさがしは虚しいと書いていますが、私は逆にモデル探しも色々な背景や関係が読めて、
 さらにはモデルとなった人々や関係者が小説をどう受け止めていたかなども知り得て面白いと思います。
 
 葉子のモデル:国木田独歩の最初の妻の佐々城信子

  34年9月、親戚会議でアメリカに追いやられる羽目になって、森広と結婚するために渡米の途に着いた。
  乗船した鎌倉丸の事務長・武井勘三郎と恋に落ち、アメリカに上陸せずに帰国した。同船していた鳩山春子は
  スキャンダルとして新聞に告発したと言われている。
  このことで武井は日本郵船を辞めた。武井の妻は勘三郎との離婚を承知しなかったために信子と勘三郎は制度上の
  夫婦にはなれなかった。勘三郎との間に一女瑠璃子が生まれた。
  大正10年(1921)2月に勘三郎と死別した。同14年(1925)、末の妹が病弱だったため栃木県真岡に
  移住した。真岡の自宅で日曜学校を開き、聖書と讃美歌を教えた。72歳で死去し、真岡市海潮寺に葬られた。
  (日本キリスト教女性史(人物編)よりhttp://www5e.biglobe.ne.jp/~BCM27946/sasakinobuko.html)

 倉地三吉のモデル:鎌倉丸の事務長武井勘三郎

  スキャンダル記事は、1902年11月から「鎌倉丸の艶聞」という題で合計7回の続き物として「報知新聞」
  に掲載された。
  その要約はおおよそ以下の通りである。
  昨年9月4日アメリカに向け出航した鎌倉丸の乗客の中で、佐々城信子を中心に十数名の紳士は他の乗客とは別に
  酒興にひたる事が多くあった。佐々城信子は、母豊寿(とよひさ)の遺言に従いアメリカにいる許婚約者森広のもと
  へ赴く途中であったが、彼女に何かと手助けをしてくれた事務長武井勘三郎と親しい間柄になる。シャトルに着いて  
  から一週間滞在したのみで、彼女は病気を理由にそのまま帰国する。しかし病気の他に理由があったことは、当地発  
  行の日本人という外字新聞に「事務長強姦する」との風説を揚げられたことによってもわかる通り、二人の間に何か 
  しらあったのは事実である。帰国した二人は程なく東京に出で、京橋の対山館を宿にして夫婦のような生活を始める。 
  しかし、実は武井には妻のほかに二人の子供がある。二人は対山館の一室に身を隠して快楽に耽っていたが、そのう
  ち信子は婦人病で大学病院に入院する。昨年12月、信子が全快し退院後、二人は芝公園の青龍寺に信子の名前で家
  を借りた。

 木部孤笻のモデル:国木田独歩

 木村貞一のモデル:アメリカ在住の森広

 田川夫人のモデル:鳩山春子  前総理鳩山郁夫の曾祖母 びっくり!

 古藤義一のモデル:有島武郎本人

  有島武郎の心境については本人の日記にかなり詳しく書かれていますが、これは宮本百合子の
  「『或る女』についてのノート」を参考にして下さい。http://www.aozora.gr.jp/cards/000311/files/2883_8411.html
  日記の一部分を下に記します。

  「余は去りて榊病院に河野氏を訪ひぬ。恰も Miss Read、孝夫、信子氏あり。三人の帰後余は夫人の為に手紙の
   代筆などし少しく語りたる後辞し帰りぬ。神よ、余は此の筆にするだに戦きに堪へざる事あり。余は余の
   謬れるを知る。余は暫く信子氏と相遭はざりき。而して今日偶彼女と遭ひて、余の心の中には嘗て彼女に対して
   経験せざりし恐しき、されど甘き感情満ちぬ。彼女の一瞥一語は余の心を躍らしむ。余は彼女の面前にありて
   一種深奥なる悲哀を感ず。彼女のすべては余に美しく見ゆ。余は今に至るまで彼女を愛しき。されども今日は
   単に彼女を愛すてふそれにては余の心は不満を感ずるなり。さらば余は彼女を恋せるなるか。叱! 神よ、
   日記は爾が余に与へ給へる懺悔録なり。余はこの紙に対して余の感情をいつはり記すこと能はず。以下略」 

<単語集>出現順 (これから『或る女』を読もうとする人のためのものです)

 前編:カタカナ英語

 パンネル→パネル(panel)
 インバネス(Inverness)→インバネスコート スコットランド地方の袖のない取り外しケープの着いているコート
 テレピン 松精油
 プロメナード・デッキ→プロムナード・デッキ(promenadedeck)遊歩甲板
 サルン→サロン(salon)大広間
 フロック・コート(frock coat)アルバート公コートとも、ダブルブレストで黒色のコート
 フォルクス(?)船首、フォルクス・デッキ=船首甲板
 ステアレージ(steerage)昔の船の3等船室
 パセティック(pathetic)哀れを誘う様、感動的な様
 ケーク・ウォーク(cakewalk)2拍子の黒人ダンスの一つ
 カップ・ボード(cupboard)食器棚
 ディレッタント→ジレッタント(dilettante)学問・芸能などを、趣味として愛好する人。好事家(こうずか)
 モスリン(メリンス)(muslin)薄手の平織り羊毛・綿生地
 ディワン(divan)壁に沿って置く背もたれ無しでクッション付きの長椅子
  後編では「ディバン」として出てくる
 ファウンテン・ペン(fountain pen)万年筆
 ビスマーク→ビスマルク(Bismarck)ドイツの鉄血宰相 
チャート・ルーム(chart room)海図室
 パッション(passion)熱情、情熱
 フラット(flat)共同住宅、アパート

 前編:英単語&英語単文

 glimpse  一目見ること、一見
 tact 如才なさ
 shade   日よけ、ブラインド
 simpleton まぬけ
 illusion 幻覚、幻影
 roughish 乱暴な、不作法な
 inspire  鼓舞する、発奮する
 Devil take it! くそっ! ちくしょう!
 No tame creature then,eh? 言うことなんか聞きやしないよな?
 berth  柵のようになった寝台
 You mean Teddy the roughrider?  テディーは荒馬乗りだっていうんだな?
 Good hit for you.Mr.Captain! 当たってるわ、船長!
 insolent 横柄な
 adventure 探検、冒険
 desire   欲望
 delirium 錯乱
 adventuress 女性冒険家
 weird   異様な
 assault  突然襲いかかること、急襲
 nonchalant  無頓着な、無関心な
 diabolic 悪魔のような、魔性の
 akimbo   両手を腰にあってて肘を突っ張る仕草
 Car to the town. Fare 15¢. 町まで15セント
 ecstasy  エクスタシー
 Charmin' little lassie! チャーミングなちっちゃなお嬢さん!
 What' is that?
One more over there, look! 見て!あそこにもう一人
 Here we are! Seattle is as good as reached now. 着いた! シアトルはごらんの通りよい所だ。
 Thanks to you!  ありがとう!
better half 伴侶、連れあい、妻
 refine 洗練される、上品になる
 Love scene ラブシーン
 attraction 魅力
 caress 愛撫(キス・抱擁などの) 
 boudoir (仏) 婦人の私室
 Lady friend 淑女の友達
 pathos ペーソス、哀愁     


 後編:カタカナ英語(前編に出てきたものは省く)
 デコルテー(decoltte)女性の正装用イブニングドレス。
            ネックレスラインを大きく開けて、首筋・胸をあらわにしたドレス
 ノスタルジア(nostalgia)郷愁
 キャリコ(calico)→キャラコ  インド産の平織り綿布
 ハーキュリーズ(Hercules)ヘラクレスの英語読み
 エボニー(ebony)  黒檀
 ビジネスマンライキ→ビジネスライク(businesslike)
 ライフキャリア(life career) 生涯の仕事
 ロングフェロー(Henry wadsworth Longfellow)アメリカの詩人
 エヴァンジェリン   ロングフェローが発表した詩
 ピーボデー   米の世界最大の石炭会社ピーボディ・エネジー
 ソウダ・ビスケット(Soda biscuit,buttermilk biscuit)バターミルクと重曹で膨らませた柔らかなビスケット
 コケット(仏coquette) 色っぽい女,艶めかしい女  参考:コケティッシュ(coquettish)
 コティロン(cotillon) 18から19世紀にフランスで流行した男女4組8名で踊るダンス
 ディフテリア→ジフテリア
 ソップ→スープ
 イルージョン(illusion)幻影、幻想、錯覚
 ハルシネーション(Hallucination) 医学用語、幻覚


 後編:英単語&英語単文(前編に出てきたものは省く)
 Strenuous life 奮闘生活  ルーズベルトの本の題名
 sun-clear 正しい、はっきりした



<その他>
1.帰国した明くる朝、葉子は横浜の紅葉坂の旅館から坂を下りて停車場、税関波止場から海洋通りの
  グランドホテルへと歩く、、そして県庁の方へ、、、。

  この当時(1913年、大正2年)は、横浜の山下公園添いにグランドホテル(明治6年開業、昭和2年解散)
  がありました。
  今はその跡地のすぐ近くにスパゲッティ・ナポリタンやプリン・ア・ラ・モード、ラムボールなどの名作を生み出し   
  たレストランを持つホテルニューグランドがあります。
 
2.渡辺淳一の「失楽園」は、有島武郎の心中事件をモチーフにしているそうです。(Wikipediaより)

 


















[2013/02/09 17:01] | 雑記帳
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『権理と権利』      2013.2.6

以前「自然と人権」の中に以下のような文章を書いたことがある。

「特に日本人の場合には、英語で言う human rights と言う「普通の人間として生きていくための要求権のこと」を、「人権」と訳してしまった事、また rights を、権限・権力の「権」と利益などの「利」を合わせて使って「権利」と訳したことにも問題があるような気がする。「人間の要求権」位にしておいた方が良かったのではないだろうか。」

人権の説明の中には必ず「権利」と言う言葉が使われる。
この人権と権利という二つの言葉はいつも非常に不愉快きわまりなく私の頭の中を駆けずり回っていた。

先日、福沢諭吉の学問のすすめを暇に任せて何となく読んでみた。

human rightsを人権と訳したのは福沢諭吉であるが、rightを権利と訳したのは西周である。
西周は他にも「哲学」、「理性」、「主観」、「客観」、「悟性」、「現象」、「実在」、「感覚」、「知覚」、「観念」、「意識」等の言葉を日本語として訳している。

西周は、福沢諭吉の天賦人権論に真っ向から対立した権利不平等論を唱えた人であったが、その実績から彼がrightを権利と訳したその訳語がその後もずっと日本では何の疑問も持たれずに使われてきた。(ただし西周も最初は権利とは言わずただの「権」と言っていたようだ)

ところが、最近になって福沢諭吉の学問のすすめを読んで分かったことだが、human rightsを人権と訳した福沢は、rightを権利とは訳していなかった。
彼は、権理とか通義あるいは権理通義と使ったり短く権義としているのである。
さらに、論敵西周に対して、rightを権利と訳したるは誤訳であり、権利が使われれば未来に禍根を残すぞ! と強烈に批判している。
福沢が人権と訳したのは絶対に間違いだと思っていた私の、もやもやしたものがこれですっ飛んだ!

西周によれば、福沢の天賦人権論は「虚理」であり「虚象」であって、社会の実勢は労力の格差にもとづく権利の不平等が現実であり実勢であると考えていたからだということだそうである。
福沢の言う天賦の権利というものはなく、複数の人が存在する所から権利が生ずるというのだ。

現在の憲法14条や97条に書かれている基本的人権は、まさしく福沢の言うところの権理から生まれた人権である。そして理想の人権でもある。
それに対して西は、現実から出発しているのだ。
今現実におこっている格差社会を見ていると、西周も偉大な学者だと思う。

ここからが大事なところなのだが、福沢が訳した「人権」を使うなら、同じように福沢が訳した「権理」を使うべきであって、西周が訳した「権利」を使うべきではない!

小さな事のようだが、これは今後の日本にとっても大事なことだと思う。それでなくても権利や自由のはき違えをしている日本国民が多すぎる!

是非、文部科学省や教育委員会や教育に携わる学者諸氏の再考を願いたいと思う。  

なお、学問のすすめは今の政治家は是非熟読して貰いたい!
きちんとした独立国家を作るために,それぞれが学問に励まなければならないと言っていると同時に、本来の国というものはどうあるべきなのかも詳しく語っている。
政治家のより良い国を作ろうという熱意と意欲は、150年前よりも退化しているのではないかと思えてならない。


[2013/02/08 14:33] | 雑記帳
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旅館とホテル  2011.12

第1回:

先日、台湾1周をして、色々なホテルに泊まりました。

<台北>
台北の最初の二日は、林森北路の繁華街近くのビジネスホテル。最近オープンした、若い女性が好みそうなホテルでしたが、部屋が狭くて、日本のビジネスホテルのようでした。
<日月潭>
リゾート地「日月潭」の所謂リゾートホテルは、一番高かったのですが、立ちゆかなくなったリゾートホテルを再建したばかりで、内装は新しくかなり奇麗で凝っていたのですが、従業員がまだ慣れてないのが見え見えという感じでした。挙げ句の果てに、レストランでは期限切れのビールを飲まされるところでした。これでも一応5星になっていたのですが、ちょっとがっかりしました。
<台南>
台南の「大億ランディス酒店」は、台南で一番のホテルだけあって、「大億」と言えばどんなタクシーでも直ぐに分かりました。一番居心地がよく満足したホテルでした。ホテル内の空気がすでに他のホテルと違っていました。
<高雄>
高雄は、高雄85という高層ビルの上層階のホテル「高雄金典酒店」。チェックイン時のフロントの対応が、変にぎこちなく形式張っていたのが気になりましたが、部屋は広くて快適でした。
<花蓮>
花蓮は、以前にも泊まったことのある「花蓮美侖大飯店」。ブッフェ形式の朝食の場所や雰囲気、機能的なパソコンルームなどなど、、、以前よりもかなり洗練されたホテルになっていました。
<台北>
最後の台北は、やはり最近オープンしたちょっと気の利いたビジネスホテル、ラブホテルみたいな作りのツインベッドルーム(?)で、色々とちぐはぐな感じでした。

私の友人達も台湾や日本の色々なホテルに泊まっていますから、ビールを飲みながらホテルの話をすることがよくあります。そして、良く話題になるのは日本の旅館とホテルの違いとどちらが好きかなどと言うことです。

そこで今回は、ホテルと旅館のサービスについて、考えてみたいと思います。

最近の近代的で大規模なホテルは、セザール・リッツ(スイス)によって1900年頃にフランスのパリに初めて建設されました。(今のオテル・リッツまたはホテル・リッツ)初めて各客室にトイレとバスタブを完備したホテルを造ったのも彼です。その前までは、ホテルは皆共同のトイレと風呂だったそうです。その成功ぶりから彼は今でも「ヨーロッパのホテル王」と呼ばれています。

なぜリッツの話をしているのかというと、最近のホテルサービスにとても深く関係している人物なのです。彼の言葉の中に「お客様は常に正しい」と言うのがあります。

第2回:
 リッツの言った言葉をもう少し詳しく見てみると、
(a) The customer is king.《お客は王様》


(b) The customer is never wrong.《お客はけっして間違わない》

 
(c) The customer is always right.《お客は常に正しい》
 *

(c)はアメリカではコトワザになってしまいました。
この言葉を使った人が他にもいます。リッツより13歳年下で、アメリカのホテル王と呼ばれたスタットラーです。彼は、リッツとは対照的な大衆向けの完備されたホテル建設で成功します。

さらに、アメリカ、コネチカットにあるスーパーマーケット「Stew Leonard‘s」
(スチュー・レオナルド)の入口に書かれている言葉ですが、
Rule 1 The Customer Is Always Right! 
(ルール1 お客様は常に正しい。)

Rule 2 : If The Customer Is Ever Wrong, Reread Rule 1. 

 (ルール2 例えお客様が間違っていたとしても、ルール1をもう一度読め)

そして、アメリカの小売店チェーンで世界最大となったウォルマートの創立者のサム・ウォルトンも同じ言葉を後世に残しました。

1条 お客様は常に正しい
2条 お客様が正しくないと思ったら1条を見よ
スチュー・レオナルドと全く同じ文章ですね。

多くの起業家がこの言葉を座右の銘として成功していることが分かります。

日本では、かなり似ている言葉で「お客様は神様です!」と言うのがあります。
ご存じ、三波春夫のフレーズです。このフレーズについては、三波本人の真意とは違う意味に捉えられたり使われたりしていることが多くあるようです。三波春夫にとっての「お客様」とは、聴衆・オーディエンスのことで、客席にいらっしゃるお客様とステージに立つ演者、という形の中から生まれたフレーズです。ですから、三波が言う「お客様」とは、商店や飲食店などのお客様のことではありません。
 しかし、このフレーズが一人歩きをして真意と離れて使われる時、例えば買い物客が「お金を払う客なんだからもっと丁寧にしなさいよ。お客様は神様でしょ?」となるわけです。それに対して、店員さんは「お客様は神様だと言うからって、お客は何をしたって良いっていうんですか?」という具合になります。
 俗に言う“クレーマー”(苦情家)の恰好の言いわけ、言い分になっていることも多いようです。
あるいは、お客相手のお店などで「お客様は神様ですから、とにかく大切に扱ってください!」と、お客至上主義に至ってしまうこともあるようです。

ところで、ホスピタリテイー・インダストリー・スペシャリストと名乗っている人がいます。なかなかのキャリアーの持ち主で著書は多数ありますがこの本の中で、日本のホテルや旅館のサービスが遅れているだとか、日本人旅行客がいかにヘンなのかと言うことが書いてあり、著者はアメリカやヨーロッパが最高であるという一種の外国かぶれに見えてしまいます。

私は、日本のホテルや旅館のサービスやホスピタリティーが遅れているとは思いませんし、特に日本の旅館に関して言えば、歴史的にも世界の先端をリードしてきたと考えています。

ところで、サービスとホスピタリティーの違いをご存じですか?
「サービス(service)」は、ラテン語 セルヴィタス(servitus)から派生した単語であり、元の意味は「奴隷」とか「仕える」です。「召使い」の意味を持つサーバント(servant)もサービスが語源です。 
したがって、サービスを受ける立場が「主」であって、サービスを提供する方は「従」ということで、主従関係がはっきりしています。 


ただし今は、“奉仕する”とか“役に立つ”という意味で使用されることが多いのです。 

サービスとは、「相手が喜んでくれる、相手の役に立つ言動全般」を意味する事であるとも考えられます。 
この場合、サービスを提供する方が「従」でサービスを受ける方が「主」などということは全くありません。ある時は、サービスを提供する方が「主」であり、サービスを受ける方が「従」であっても良く、同等であることが望ましい姿かも知れません。また、日本では、「サービスは無料(タダ)が当然」と言う考え方 
が長く続いていました。 

 
ここ数年、サービスに似た言葉として、「ホスピタリティ(hospitality)」 
があります。
ホスピタリティは、ラテン語のhospesであり「客人の保護者」や「歓待」と言った言葉から派生していて、キリスト教の教えでもあったようです。 

それが英語のhospital(病院)、hotel(ホテル)、hospice(ホスピス)と色々な言葉に発展しました。 
どれも「最大限の努力で訪れる人を扱わなければならない」
と言う考え方が根底にあります。


 
ホスピタリティは、お客様に提供する言動に対して、対価を求めるのではなく、「おもてなし・喜びを提供する」ことに重きをおいている点が大きくサービスと異なっています。ホスピタリティにおいて重視されるのは、人間性や信条、個性、感性などであり、報酬を求めての行動ではないということです。 
「おもてなしや喜びを提供する」ことによって、「報酬は結果として、あとからついてくる」という考えです。 


さてここで、またまたやっかいなことが出て来ました。最近、ホスピタリティー・サービスなる言葉が、あちこちで見られるようになったのです。どんなサービスなのか、首をかしげたくなります。「サービスしまくり・サービス」の様なものなのでしょうか?

さらには、最近のホテルでは「コンシェルジュ」(コンスィェルジュが原語発音に近い)と言う「綜合世話係」のような職種があって「コンシェルジュ・サービス」なるものや、「バトラー・サービス」(執事サービス?)なるサービスが脚光を浴びだしているようです。そしてこれは「コンシェルジュ・ホスピタリティー」とか「バトラー・ホスピタリティー」とは言いません!これらのサービスもやはり、パリのホテル・リッツ辺りで開発されたサービスのようなのですが、、、。

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第3回:

先ず、コンシェルジュについて検討してみたいと思います。
フランス語では、コンシェルジュは本来、教会、修道院等で来訪者の鍵を預かる人のことや「集合住宅(アパルトマン)の管理人」という程度の意しか持たない単語でした。そこから解釈を広げ、ホテルの宿泊客のあらゆる要望、案内に対応する「総合世話係」あるいは「よろず相談承り係」というような職務を担う人の職名として使われるようになりました。宿泊客のあらゆる要望に応える事をそのモットーとしていることもあり、「(宿泊客の要望に対して)決してNO(ノー)とは言わない」と言われています。もっと具体的な仕事内容としては、街のレストラン情報提供や予約、ショッピングやちょっとした散策などのヒントを提供したりする他、電車、バス、観劇等の案内や予約、さらにビジネス サポートや旅行の相談なども引き受けます。この仕事は、ホテル固有の経験はもとより周辺知識迄広く求められる他、お客様との接し方もより親切で洗練されたものでなくてはならないこともあり、欧米のホテルの中では非常に敬意を払われている職種です。

最近では、ホテルに限らずJRのステーション・コンシェルジュ(*)や伊勢丹のボーテ・コンシェルジュ
(**)のように、さまざまな施設で同様の役割を担当する人員をコンシェルジュと呼んでいます
 *簡単に言うと駅のよろず承り所
 **Beauteは美、ボーテ・コンシェルジュはブランドを超えた化粧品のアドバイザー

なお、コンシェルジュ(Concierge)はフランス語であると言うこともあり、日本語カタカナ表記ではコンスルジュと間違って書かれたり、コンシェルジェと書かれたりしますが、原語発音に近いのはコンシィェルジュです。Conciergeが動詞や過去分詞になるとコンシェルジェになるようです。

また、こうしたサービスを体系化したものを「コンシェルジュ・サービス」と呼ぶのだそうです。       そしてコンシェルジュ・サービスを、個人で所有できる「パーソナルコンシェルジュサービス」というサービスを提供する会社組織が今世界中にできています。今や、世界の富裕層にとっては、このサービスを受けているかどうかがステータスとなりつつあると言っても過言ではないようです。

話をホテルに戻しましょう! コンシェルジュは、日本のホテルではまだ馴染みの薄い職種です。アシスタントマネージャーAM(*)とかゲストリレーション(ズ)GR(**)といった職種が昔から有り、かなりコンシェルジュCGに近いような気がしたので調べてみました。
*AM:フロント近くのロビーにデスクを置き、利用客の要望・苦情・相談などに対応し、観光案内、各種予約、交通機関の手配などを担当する役職。米国式のホテルに多く存在する職種。組織上、支配人に直結している例が多く、その代理的な意味合いで、VIPなどの送迎を担当する場合もあり、コンシェルジェと類似した職種機能を持つ。
**GR:ホテルで宿泊客の種々の相談・依頼などに応対する人。コンシェルジュ。ほとんどコンシェルジュと意味は同じと言うことです。
それでは、アシスタント・マネージャーやゲスト・リレーション(ズ)とコンシェルジュはどこがどう違うのでしょうか?そのキーワードは「あらゆる要望」と「ノーとは言わない」ではないでしょうか?AMもGRもお客の要望に色々と対応しますが、どんな要望にでも対応するわけではないようです。時には、「それはちょっと分かりかねます」「当ホテルはそれには対応しておりません」などという「ノーを含む言葉」が出るのではないでしょうか。それに対して、CGは、とにかくどんなことに対しても徹底的に対応しようとする態度、接客姿勢、接客に対する考え方が違っているのだと思います。こうなると、「心、ハート」の問題でしょうか?誠心誠意のホスピタリティー!

それではここで実際に日本のホテルに色々と聞いた人のお話をお借りして書いておきます。
1.ホテルオークラ東京 
オークラでは「よろず相談係り」をコンシェルジュという呼び名にしていません。コンシェルジュの仕事はアシスタント・マネージャーとゲスト・リレーションが行います。

アシスタント・マネージャー、ゲスト・リレーション、プロトコール(VIPアテンダント)の三部門は総支配人室に属する接遇課にあります。日本でも数年前から欧米の高級サービスを志向した一部のホテル或いは外資系ホテル・オペレーターがコンシェルジュを配置するようになりましたが、オークラではこの種のサービスをインフォメーション・デスクに始まり現在のロビーデスクで対応しており、昼は客室担当副支配人或いはゲストリレーション・スタッフ、夜はナイト・マネージャーがアサイン(割り当て)されています。従ってこの名前を使っていないだけです。この仕事を通じての「やりがい」は、サービス業全般にそうでしょうが、やはりお客様から直接「ありがとう」といわれることです。唯、他のサービス業と少し違うのは、提供サービスの内容が本業のサービスを超えた部分にあり、その意味では奉仕の精神が上のような気がします。

仕事でモットーとしいていることは、NO(ノー)といわないことです。NOであってもNOではないのです。

2.グランド ハイアット 東京
コンシェルジュは、このホテルにおいては宿泊部フロント・オフィスに属します。コンシェルジュはホテルのお客様の「よろず相談」承り係ですが、ただ日本ではホテルの歴史もコンシェルジュの歴史も浅いため、その職域も仕事の内容も少し違う部分はあります。コンシェルジュの編成メンバーは5名です。朝の8時から夜の9時までの13時間がコンシェルジュ・デスクのオープンしている時間です。この時間内で、1~2名のスタッフがコンシェルジュ・デスクでお客様に接していられるようにシフトを構成しています。夜間の問い合わせはフロントやベルデスク、オペレーターで受け、その場で対応できないケースは翌日への持ち越しとなります。


上述の2つのケースで、ホテルオークラはコンシェルジュと言う言葉を使っていないだけで、「奉仕の精神」とか「ノーと言わない」とか、、、全くコンシェルジュそのもののように思えます。さらに、夜間はナイト・マネージャーがその仕事を引き継いでいます。一方、グランドハイアットではコンシェルジュという名前を前面に出して対応していますが、朝から夜の13時間だけでそれ以外の時間帯は、フロントやベルデスクやオペレーターで受けて、対応できないときは翌日持ち越しとなっています。フロントやベルデスクやオペレーターは、コンシェルジュの教育を受けていないはずです。さて、これだけでは判断しづらいですが、どちらが本来のコンシェルジュの精神に近いでしょうか?そして先ほど、アシスタント・マネージャーやゲスト・リレーション(ズ)とコンシェルジュはどこがどう違うのでしょうか、、、、の答えとして「誠心誠意のホスピタリティー!」と書きましたが、どうやらそうでもないようですね。AMやGRでも、十分コンシェルジュとしての仕事をしているようです。

結論:コンシェルジュの言葉に惑わされないで、ホテル選択をすること!



第4回:
次はホスピタリティーのお話しです。

日本のホテルのホスピタリティーは遅れていると言うのが、この業界の一般的な見方です。
カタカナ英語を使う時点で、システムや考え方は国外から取り入れたもの!そう考えてしまうのですね。
コンシェルジュと言う言葉を使うから「日本ではまだコンシェルジュは馴染みの薄い職種です」となるのです。
よく考えてみると、日本の旅館でもコンシェルジュと同じような職種があるのです! このことはまた後で書きますね。
ここで、日本のホテルの最高のホスピタリティーの事例があるので紹介します。
日本のホテル御三家の筆頭である帝国ホテルは、明治23年(1890年)に「東京にも世界に通用するホテルを・・・」と宮内省の援助を受けて財界の有志(渋沢栄一と大倉喜八郎)が協力し誕生しました。
設計は米国人建築家フランク・ロイド・ライト(Frank Lloyd Wright)です。

前にお話ししたリッツがパリにリッツホテルを建設したのが明治30年(1897年)ですから、それより7年も前のことです。日本のホテル建設もそれほどヨーロッパやアメリカに遅れてはいません。
下のホテルの年表をみながら、一休みしましょう! どうぞじっくりとご覧下さい。

*日本のホテル建設年表
慶応3年1867 東京築地に「ホテル館」着工 設計:J・H・ブルジス(米国人)施工:清水喜助(清水建設創始者)
明治2年1869 横浜に「横浜クラブホテル」 開業  設計:W/Hスミス(英国人)
明治3年1870 神戸に「オリエンタルホテル」 開業
明治4年1871 東京築地に「精養軒ホテル」 開業、兵庫に「兵庫ホテル」 開業
明治6年1873 横浜に「横浜グランドホテル」 開業、東京日比谷に「東京ホテル」開業、「日光金谷ホテル」開業
明治11年 1878 箱根宮ノ下に「富士屋ホテル」 開業

明治22年 1889 ロンドンに「ザ・サボイ」開業 テムズ川近くのこの有名ホテルは、現在でも数々の有名人やセレブに愛され続けている
明治23年 1890 東京にも世界に通用するホテルを・・・と宮内省の援助を受けて財界の有志(渋沢栄一と大倉喜八郎)が協力して「帝国ホテル」が誕生する。設計を米国人建築家フランク・ロイド・ライト(Frank Lloyd Wright)に依頼する。
明治24年 1891 京都に「京都ホテル」開業、軽井沢に「万平ホテル」開業
明治26年 1893 ニューヨークに、ウォルドルフ=アストリアホテル 開業、現在の国連に近く、後に、ケネディ大統領や、日本の昭和天皇、歴代首相も宿泊している。
明治30年 1897 パリに、ホテルリッツ 開業、この歴史ある高級ホテルは、近代、イギリスのダイアナ妃が亡くなる直前に泊まったホテルとして再び脚光を浴びる
大正12年 1923  伊豆大島・相模湾を震源とする「関東大震災」が発生(9月1日正午) 東京の大半、横浜、横須賀は壊滅状態となる。
昭和 2年 1927  関東大震災で、壊滅的なダメージを受けた横浜市は、市と商工会議所が協力して山下公園前に、外国人用ホテルとして「ホテルニューグランド」を開業する。(マッカーサーが最初に泊まったホテル)
昭和 3年 1928 米国太平洋岸ホテル業者が来日する。
昭和 5年 1930 ホテル内に「JTB」の案内所が設けられる。
昭和10年 1935 YMCA国際ホテル学校が設立される。
昭和11年 1936  伊豆に 「川奈ホテル」 開業 名門ゴルフコースで有名。 後に、あのマリリン・モンローとジョージ・デマジオの新婚旅行での宿泊先でも話題に
昭和16年 1941 太平洋戦争 開戦
昭和20年 1945 ポツダム宣言受諾 終戦、日本のホテルは連合国軍の将兵の施設として接収される。この間、米国人によってホテルの能率改善が行われた。又、ホテルの衛生改善については、徹底的に行われ日本人の衛生観念を全く根本から変えてしまった。
昭和27年 1952 東京に 日活国際ホテル 開業 ここで石原裕次郎と北原三枝や、美空ひばりと小林旭等、数多くの有名人が結婚式を挙げている
昭和33年 1958 東京に世界一高い電波塔 「東京タワー」 が完成する。
昭和35年 1960 東京に 「銀座東急ホテル」 開業
昭和36年 1961 東京に 「パレスホテル」 開業
昭和37年 1962 東京に 「ホテルオークラ」 開業  (帝国ホテルの大倉喜八郎の長男、喜七郎が設立)
昭和38年 1963 東京虎ノ門に 「東京ヒルトンホテル」 開業   (現、キャピトル東急ホテル)
昭和39年 1964 東京オリンピックを目指し相次いでホテルが開業する、東京の紀尾井町に 「ホテルニューオータニ」、高輪に 「ホテル高輪」、芝に 「東京プリンス」 とホテルラッシュが始まる。
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さて、それでは日本のホテルの最高のホスピタリティーの事例です。
昭和11年(1936年)のお話しですから、貴方の生まれる19年も前のことですが、有名なお話しなので貴方も知っているかも知れませんね。でも、書いておきましょう。
昭和11年に、管弦楽曲『禿山の一夜』、ピアノ組曲『展覧会の絵』などで有名な作曲家ムソルグスキーのさらに有名な歌劇「ボリス・ゴドゥノフ」で、ボリス・ゴドゥノフ役では世界一といわれたバス歌手シャリアピンが来日し、帝国ホテルに宿泊しました。
シャリアピンはこの時入れ歯の不具合から来る急な歯痛に耐えかねて、帝国ホテルに治療を要請しました。
帝国ホテルは、丸ビルのバトラー歯科を紹介して、治療、、、当夜のコンサートは成功裏に終わったのです。
また、シャリアピンはホテルに柔らかい料理を要望しました。当時、帝国ホテルのレストラン「ニューグリル」の料理長であった筒井福夫は、シャリアピンの要望に答えるため柔らかいステーキを作る調理法を考え出しました。
肉をたたいて薄く延ばし、それを玉ねぎに漬け込んで柔らかくして焼き上げ、更にみじん切りの炒め玉ねぎをかけたものです。お陰でシャリアピンは痛みを感じないで大変美味しく食べることができたのです。

帝国ホテルは、その料理をシャリアピンの名前から「シャリアピン・ステーキ」と名づけてメニューに加えました。シャリアピン・ステーキは洋風の名前ですが、日本以外の地域ではほとんど知られていない、日本特有のステーキ料理です。バス歌手シャリピアンの歯が物語る1936年の日本のホテルのホスピタリティー
でした。


第5回
「日本はホスピタリティー後進国」そう言う人が沢山います。でも、シャリアピンのお話しで、日本もかなり古い時代から、現代のホテル最高のサービス精神であるホスピタリティーを持っていたと言うことがおわかりいただけたでしょうか?

ここでもう一度ホスピタリティーとはどういう事なのかを考えてみましょう!どうして日本はホスピタリティーの後進国と言われるのでしょうか?ある評論家のお話をもとに考えてみたいと思います。以下はその評論家の考えです。
(1)日本のホスピタリティーの原点は茶の湯の「一期一会」である。

一般的に「一期一会」は誤って伝えられている。
本来「一生に一度の茶事だから、一生に一度しか考えられない程クリエイティブな企画と演出をしなければならぬ」という意味である。 しかし一般的に「一生に一度のことと思って万全の準備をし、粗相のないように」というように誤って考えられている。

誤って伝えられた「一期一会」を、ホスピタリティーの原点と考え「おもてなしのこころ」がホスピタリティーと考えるようになった。
従って、主なることが食事や宿泊、或いはショッピングすること、従たるものとしてホスピタリティーを考えている。 つまり、接客やサービスなどである。
主に対して従たるもの、つまりお金が頂けない、或いは頂きにくい分野の仕事が「ホスピタリティー」であると、長年誤解されていた。 顧客は、それが常識と考えてしまっている。

日本でのホスピタリティーは「精神的な奉仕」に重点が置かれている。 当然マネジメントのシステムに乗せにくい。




(2)キリスト教国では、最後の晩餐がホスピタリティーの原点である。契約の血と体。楽しい人生と明るい未来の約束。 契約の儀式を原点に持つのがホスピタリティーである。
従って、楽しくなること、顧客が満足することはすべてオーライでホスピタリティーは主たる物の本体なのである。
当然、ホスピタリティーそのもの、例えばホテルから空港にロールスロイスで迎えに行くなどは日常的なサービスとなり、有料で行われる。

ホテルのコンソルジュ。日本では無料。 欧米ではきちんと20%チャージされている。 欧米キリスト教国でホスピタリティーは「具体的な奉仕」と考えられている。 当然、対価の対象であると共に、システムとして機能させやすい。
チップは、日本でもサービス料としてチャージするようになったが、「具体的な奉仕」の対価として、チップ以上に具体的に物語るものはない。


なんだかもっともらしく書いていますが、ようは、(1)日本のホスピタリティーは「おもてなしの心」で「精神的な奉仕」に重点が置かれている。
また、キリスト教国すなわち欧米と言うことでしょうが、(2)ホスピタリティーは「顧客が満足すること全て」であり「具体的な奉仕」である。そう書いてあります。

それではもう一度、ホスピタリティーとは何だったのかを思い出してください。第2回の中に以下のように書いてあります。
〜〜〜〜〜
ホスピタリティは、ラテン語のhospesであり「客人の保護者」や「歓待」と言った言葉から派生していて、キリスト教の教えでもあったようです。 

それが英語のhospital(病院)、hotel(ホテル)、hospice(ホスピス)と色々な言葉に発展しました。 
どれも「最大限の努力で訪れる人を扱わなければならない」と言う考え方が根底にあります。ホスピタリティは、お客様に提供する言動に対して、対価を求めるのではなく、「おもてなし・喜びを提供する」ことに重きをおいている点が大きくサービスと異なっています。ホスピタリティにおいて重視されるのは、人間性や信条、個性、感性などであり、報酬を求めての行動ではないということです。 
「おもてなしや喜びを提供する」ことによって、「報酬は結果として、あとからついてくる」という考えです。
〜〜〜〜〜

この定義からすると、(1)がまさしくホスピタリティーであり(2)はただのサービスであると言うことが分かります。

前にも書きましたが、ホスピタリティー(hospitality)と言う言葉が英語であるために欧米の考え方や精神が正しいと思いこみ、日本にその言葉が入って間もないために日本はまだまだ遅れていると、やはり思いこんでいるのです。ちなみに、英国ではhospitalityのことを「無料の食事付き宿泊」と言うこともあるのです。ホスピタリティーが具体的な奉仕で有料だという考えからは大分はずれるような気がします。

サービスよりも高度な「おもてなしの心」である「ホスピタリティー」は、まさに日本の伝統旅館のお家芸であり、日本のホテル業界の中にも知らずに入り込んでいたのです。諸外国は日本に学ぶべきです!千利休のわび茶は安土桃山時代の1570年頃にはすでに完成していました。茶道、茶の心は、日本のおもてなしの心の一つの基礎となっており、現代の日本のホスピタリティーを支えていると思います。
さらに言えば、日本のおもてなしの心は、豊富な水と緑に囲まれた照葉樹林を背景に、自然と調和して生活するという日本民族が育んできたものだと思います。一神教のキリスト教の中では、本当の意味のおもてなしの心は生まれません。
それなのにどうして欧米では、さらに日本でもホスピタリティー、ホスピタリティーと言ってで騒ぐのでしょうか?
私の仮説ですが、欧米が日本の旅館のシステムを真似て、さも自国のものであったかの様に大声でわめき散らしたのだと思います。ただし欧米も少しは研究して、結構スマートなものに仕立て上げました。こういう例、日本の真似をして或いは日本の研究を横取りして自分のものにしてしまうというようなことは、実は数え切れないほど過去に例が有ります。(実例は省略します)
 
結論:ホスピタリティー=おもてなしの心は、日本の伝統旅館のお家芸である。日本はホスピタリティー後進国ではない!



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[2012/01/24 15:09] | 雑記帳
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納得のいかない有名ファンタジー小説
「オーデュポンの祈り」


2年ほど前の話だが、伊坂幸太郎のデビュー作「オーデュポンの祈り」を読んだ。
なかなかユニークで発想も面白く、「シュール」とか「ファンタジー」という言葉がぴったりの小説だと感じた。その前に読んだ「重力ピエロ」・「ラッシュライフ」も伊坂幸太郎らしさが十分に出ていて面白く楽しく読んだ。でも、「フィッシュストーリー」は私にはあまり面白くなかった。

「オーデュポンの祈り」を読み終えて何日か経った時、町中を歩いていて通りかかる自転車を見て、はっとした!

あの小説の中の自転車がなんかおかしいぞ! 
また家に帰って読み返してみた。
以下、私の疑問点について解説します。
ーーーーー

伊坂幸太郎著「オーデュボンの祈り」破綻箇所についての詳細。

対象となる本:
新潮文庫 伊坂幸太郎著 「オーデュボンの祈り」新潮社版平成二十二年2月二十五日 四十六刷

対象物:草薙所有の自転車、
色は青、ハンドルは一文字、細い車体、前輪部分にスタンドがついている見慣れている自転車とは「わずかに」違う形なので、違和感がある。
変わった仕様だ。 、、、とP58にある。

写真:前輪にスタンドの付いた自転車とは、こんな感じなのだとおもいます。

前スタンドの自転車
前輪スタンドの自転車 
     
P58参照

*「わずかに」と言うことは、他の部分は見慣れている自転車と同じと言うことではないのか?
*スタンドは、文面を検討してみると、オーソドックスな両足タイプであろう。片足スタンドではないはずである。  
      
さらに、本文から分かることは、発電式のライトはハンドル部に付いている。ただし、発電機の取り付け位置については触れられてないが、当然スタンドを立ててこいだ時に回る車輪部分であるはずである。

P251参照
 「スタンドを立てて、後はこいでくれればいい。自転車のライトで、俺達の足下を照らしてくれ」
P252参照
 空回りさせながら、必死にこいだ。
P253参照
 つかんでいたハンドルを左右に思い切り振った。その動きに合わせて、ライトの明かりも左右に揺れた。云々
P254参照
 ふうと息を吐き、体重を移動させ、サドルから降りた。足が踏ん張れなくて、しゃがみこんでしまう。
 *夢の中で自転車をこいだわけではないようだ!

 *前輪にスタンドがついているタイプなので、ハンドルと前輪とスタンドは一体になっているはずである。なので、思い切り振らないと、ハンドルは動かないし、ハンドルに固定されたライトも動かない。
 *伊藤が使った自転車は、間違いなく草薙の自転車である。P247 伊藤が草薙に向かって「悪いけど、自転車を貸してくれないかな」と言っている。

 疑問点:
 1.前輪スタンドを立てて、本当に空こぎできるのか?自転車は前輪駆動でないとならない! 前輪駆動自転車は、ハンドルのことを考えるととても構造的に難しく、もしできたとしても、見慣れている自転車と「わずかに」違うだけでは済まない。

その他:荻島は外界と断絶されたおとぎ話に出てくるような変わった島だから、そう言う細かいことは考えなくてもよいのかもしれないが、もしそうなら、他の細かい描写など何もいらない。
    
 もし「前輪の部分に「も」スタンドが、、、」(前と後ろの両方にスタンドがついている)と「も」が入っていれば、問題なかったと思う。しかし本文では「前輪の部分にスタンドが、、」となっている。文脈的には、見慣れた後ろにスタンドのあるタイプではなくて、前輪にスタンドのあるタイプと受け取れる。(写真の様なタイプ)

 シュールとファンタジー 
    超現実(シュール)とか幻想的(空想)(ファンタジー)とか言う言葉は、私たちの住む現実があって初めて対比される言葉である。すなわち、現実がある程度無ければこれらの言葉は意味を持たない。したがって、現実的な部分とそれ以外のシュールな部分との兼ね合いが大事であると思う。
    シュールレアリズムのダリは、私の好きな画家の一人であるが、垂れ下がる時計にはきちんと文字盤と針が描かれている。文字盤と針がなければ、丸いものが垂れ下がっているだけで、超現実などという言葉はわいてこない。

 ファンタジーも100%ファンタジーでは、ファンタジーではなくなってしまう。
 現実の中の何処にファンタジー部分を取り入れるのかはその作者の考えであろうが、読んでいるものにとってその話の流れが納得できるものとできないものとがある。

 この自転車の件は、私にはとうてい納得できないものである。

ーーーーーー
以上。



[2011/10/26 02:50] | 雑記帳
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