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台湾台東に関わって40数年、その間に経験した楽しかったこと面白かったことびっくりしたことなど、現地の状況や日本との比較なども含めて紹介したいと思います。
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福爾摩莎音頭(民謡調)
YY隊長作詞
YN老師作曲

一.ハァー 太平洋の荒波が
      どどんとうち寄せ幾千年
      台東の地に根を張って
      明日の文化を築くため
  コリャ われらフォルモサ
      ドント ドドント 強き仲間
      
二.ハァー 都蘭の山をあおぎみりゃ
      さんさんあふれる陽の光
      台東の地に花咲かせ
      明日の文化を築くため
  コリャ われらフォルモサ
      サンサ ササンサ 強き仲間

三.ハァー 清き流れの卑南渓 
      ゆらゆらかげろう緑の野
      台東の地に広がって
      明日の文化を築くため
  コリャ われらフォルモサ
      ユンラ ユラユラ 強き仲間

福爾摩莎音頭1
福爾摩莎音頭

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[2012/08/14 02:39] | レストラン
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福爾摩莎餐庁(レストラン・フォルモサ)開店まで 2004年

・台湾の呼び名
 台湾の呼び名はいくつかあって、その中に「フォルモサ」(Formosa) というのがあるという話を、蘭嶼のところで話した。
 もう一度簡単に解説しておくと、一五四四年頃、ポルトガル船が台湾沖を通過したときに、乗り込んでいたオランダ人航海士が台湾を見てポルトガル語で「イラー・フォルモサ」(麗しの島)と叫んだことに由来すると言われている。
特にヨーロッパではTAIWAN(タイワン)よりもFORMOSA (フォルモサ)が浸透している。実際にイタリアに行った時には、フォルモサを頻繁に使った。

・福爾摩莎餐庁計画 
 さて、秩父山の家で、夜囲炉裏を囲みながら酒を飲んでいて、台東でレストランをやってみないかという話になってしまったが、最初は冗談だとばかり思っていた。
 私自身は、台湾の人、特に原住民の人達には、タイワンザルや哺乳動物そして狩猟採集文化の調査などで大変お世話になり、小馬には台湾の母(小馬のおばさん)までできてしまったから、とにかく何か彼等にお礼の意味で、何かしてあげられないだろうかといつも考えていたことは確かであった。もともと料理が好きだったことから、日本食のレストランなどを台東で始めたら、良いだろうなあとは思ってはいた。彼らを雇い入れれば、雇用対策にもなるし、うまくいけば支店を出しても良いだろう。田舎の村で朝から酒と檳榔漬けになってるよりはよっぽどましである。
囲炉裏を囲みながら、そんな内輪話も出たことが確かにあった。
それから、半年ほど経った2002年12月初旬に恒例の秩父山の家忘年会があった。やはり囲炉裏を囲みながら飲んでいて、Oさんから突然のように、
「あれ、Nさん!あの話の計画、まだできてないの?」と言われた。
「えっ、本気でやるつもりですか?」
「いらっしゃい!いらっしゃい!」
Oさんの口癖で、OKだということである。
辺りの顔を伺ってみると、皆その気のようだ。とにかく皆、台東が大好きな人間である。

私は山から下りると直ぐに、準備に取りかかった。設立趣意書を先ず書いてから、どういう形態でこの計画を実行に移すか色々と思いあぐねた。
 私達の福爾摩莎企業の設立趣意書は以下の通りである。

・設立趣意書

 人の人生は色々あります。また、人生観も様々です。
 人生の中で、人々は色々な夢や希望を持ち、その実現に向けて色々な努力をします。子供の頃に描いていた物質的な夢や希望は、世の中の進歩と相まって難なく実現してしまったものの、もっと大きな夢や希望は実現しないまま既に壮年期を迎えてしまいました。今更大きな夢を持つような歳でもなければ、時間にも限りがあります。
 それでは、この先の何十年かをどうやって生きていったらいいのでしょうか?多くの人は「気楽にのんびりと」過ごせたらよいと思っているようです。定年後にオーストラリアのリゾート地に居を移す人もいますし、フィリピンの小島を買い取り………ということをしている人もいます。そんな中で私たちは、「とにかく楽しく」をモットーに掲げ、私たちにとって馴染み深い台湾台東の地でその実現を目指そうと思います。
 第一の目的はあくまでも「自分たち一人一人が人生を楽しく生きる」ということですから、お金儲けが目的ではありません。でも、ただの遊びでもありません。楽しいことをすることを「遊び」と言うなら、「真剣な遊び」ということかも知れません。 
 さらに、もう一つの思いを込めてこの計画を作りました。台湾は過去50余年間日本の植民地であったにもかかわらず、これほど対日感情の良い國はありません。その原因は色々と考えられますが、とにかく私たちは台湾の人々、特にアミ族を初めとする原住民の人々にとても親切にしていただきました。この事業によって、そして私たちの活動によって、少しでも多くの原住民の方々が喜んでくれたら、私たちの活動が色々な台湾の人々の為になったら、それはさらに素晴らしいことだと思います。台湾の方々に対するほんのささやかなお礼の意味も込めて、出来る限りそのように努力したいと考えています。
 それでは、どうしたら楽しく人生を送ることができ、この事業の目的に近づくことができるのでしょうか? 
 とりあえず、私たちに出来ることから始めます。私たちは「秩父山の家」の仲間です。 秩父山の家で話し合ったことや経験してきたことを生かし、またそれぞれの技能や技術を最大限活用して、最初は「レストラン」経営から始めたいと考えます。台東に関わりのある日本の仲間や台東の原住民の仲間にも協力してもらい手伝ってもらいます。ゆくゆくは、日本語学校・旅行業・釣り船サービス・エビ釣り場経営などにも進出したいと思っています。

 関係者の皆々様の御賛同・御協力・御指導のほど、よろしくお願い申し上げます。
                     2003年 2月 吉日    
                                 発起人一同  YN、TK、OO,TS  
           
・計画の実行へ 
 台湾と日本は国交がない関係で、その件だけでも色々と面倒なのだが、アメリカなどと違って台湾で会社を興すには途方もないお金がかかる。さらに私達はみな仕事を持っているから、もし台東でレストランを始めても、かかりっきりにはなれない。
 12月末に台東に行った時に、林家の人達に相談した。特にXさんとソレイラさん、アカエさんに色々なことをお願いして承諾をもらった。
色々な面で私達日本人が協力をするから、最終的には現地にいる原住民のあなた達がレストランをやって欲しいというのが、大筋であった。
 その時、ソレイラさんはその翌年の6月に退職を控えていて、今住んでいる官舎を出て、本来の自分の家に戻ることになっていた。その自分の家というのは、省立台東病院(その後、署立台東病院と改名)の真向かいの角にあり、立地条件としては最高の場所であった。 一階屋だったので、二回を増築してソレイラさんがそこに住み、一階をレストランに改造すると言うことで大まかの話が付いた。
レストランの名義は、アカエさんに決めた。Xさんでも良かったが、その当時Xさんは学校の事務員をしていて公務員であったために、経営者にはなれなかったし、正式に働くこともできなかったのである。
 1月上旬に日本に帰ると直ぐに、きちんとした設立趣意書と形ばかりの定款を作成した。とにかく本当に会社を作る訳ではなく、みんなで集まってそれなりのお金を出し合って、ボランティアで人のために何かをしようというのであるから、作ったものはみな公には正式なものではない。

2003年の1月25日に、発起人のKさん、Oさん、Sさんと私の4名と、賛同者のNさんとTさんの6名で設立準備の打合会を持ち、2月に、その6名が多少のお金を出し合って、福爾摩莎餐庁企業が設立された。
 さらに、夏休みに行った時にも、現地の林家の人と確認を繰り返した。とにかく台湾の人は、しょっちゅう約束を確認していないと、何時ころっと考えを変えられるか分からない。

・レストラン改造
 夏に入ってから、ソレイラさんの家の増築工事が始まった。設計はもちろん、建築士であるアカエさんである。設計段階から色々な注文はしたのだが、とにかくなかなか思い通りにならない。方角が悪いとか、材料費や施工費が高く付きすぎるとか、その壁を取り壊すと他に影響がでるとか…結局はほとんど彼等の言いなりの様な有様になってしまったが、できてみるとなかなか洒落た店になった。
 予算的にどうも足りないことが分かったので、大学時の仲間に声をかけた、すると最終的にはI長老、Y隊長、K機長、K幹事長、最後にT老板の5名の仲間が賛同してくれた。私の二男Tにも声をかけた。これで総勢12名になった。
調理指導のシェフには、大学の2年後輩のTに行って貰うことにした。フロアー指導には、たまたま台東の路で出会った、若いカメラマンの卵のアスカさんに、2004年の7月末から2ヶ月契約でお願いした。
 2004年の1月末に、Tシェフを含めた総勢14名が集まり、池袋の台湾料理屋で、福爾摩莎餐庁企業第1回の総会が行われた。8月開店だから、あと半年余りである。

・シロアリの脅威 
 2004年に入ってからは、テーブルや椅子、カーテンや照明などを含めた内装関係、厨房器具購入、食器購入など、忙しく動き回った。最後まで残ったのが、カウンターとトイレ関係だった。カウンターは木で作ると高く付くというので、何時までも安いところを探していて遅くなった。トイレは、便器を洋式にするか和式にするかで意見が合わずに後回しになったが、最終的にはおかしな方向の和式にされてしまった。

 3月に15cm幅の板を縦に使った内装が終わり塗装も終わりやれやれと思っていた矢先、開店前の6月にシロアリにその板をほとんどやられてしまった。
シロアリがこんなにも凄いものだと改めて知らされた。すぐに施工業者にその状況を見せて、修復の件を話し合って、何とか開店までに間に合わせた。もちろん私たちもかなりの費用を負担した。
 その時の施工業者は、
「店の中に白蟻が入ってくるような家の構造だから、全部が全部私たちの責任ではない!」と言い張る。
「白蟻の多い台湾で、白蟻の防虫処理をしていない材料を使うこと自体おかしいでしょう?」 
いつまで言い合っていてもらちがあきそうもないので、結局は、費用を半々ずつ持つことにした。

・開店記念パーティー
 開店は、2004年8月8日の父親節だったが、その前の8月6日(金)に開店祝賀パーティーを台東の鯉魚山近くの大きなレストラン「錦江春餐庁」二階で開催した。
 原住民局副局長を初め数名の台東縣政府の方々も、お祝いを持って参加してくれた。小馬・東河・北源のアミの人も多数来てくれた。円卓8卓近くが、参加者で一杯になった。
司会のN、T両名は、日本から持参した浴衣を着ての奮闘振りであった。
 台湾の祝賀会などは、きちんと予定を立てても、日本と違って予定通りにはならない。 お祝いの言葉を予定していた二名の他にも、飛び入りで数名が長々と話をしたものだから、予定していた福爾摩莎企業の歌と福爾摩莎音頭の紹介ができなくなってしまった。
 福爾摩莎音頭は、Y隊長が作詞して私が曲を付けて、踊り方まで考えていて、音楽家の頼さんが小馬の婦人会の人に練習までさせていたのだが、残念なことをした。せっかくなので、ここに歌詞だけでも書いておきたいと思う。

・福爾摩莎音頭

福爾摩莎音頭(民謡調)
Y隊長作詞
YN作曲

一.ハァー 太平洋の荒波が
      どどんとうち寄せ幾千年
      台東の地に根を張って
      明日の文化を築くため
  コリャ われらフォルモサ
      ドント ドドント 強き仲間
      
二.ハァー 都蘭の山をあおぎみりゃ
      さんさんあふれる陽の光
      台東の地に花咲かせ
      明日の文化を築くため
  コリャ われらフォルモサ
      サンサ ササンサ 強き仲間

三.ハァー 清き流れの卑南渓 
      ゆらゆらかげろう緑の野
      台東の地に広がって
      明日の文化を築くため
  コリャ われらフォルモサ
      ユンラ ユラユラ 強き仲間

宴たけなわになり、食事もお酒もかなり身体に行き渡った頃、円卓が片づけられて、アミの踊りが始まった。円陣になって先頭を引っ張るのはもちろんハルコさんである。
 日本でやったアミ展の時の踊りを一通り踊り、やっとお開きとなった。宴会場には冷房が入っていたが、皆汗だくになっていた。


・開店当日
 そしていよいよ、開店当日の八月八日が来た。やることはやったから、あとはどれだけお客が来てくれるかである。
助かったことに、神奈川で食堂をやっているT老板がいてくれて、天麩羅関係を一手に引き受けてくれた。彼は、I駅前のトンボ食堂で、にぎり鮨から天麩羅、そば・うどん、丼ものから中華料理など何でもこなすプロの料理人である。この時ほどT先輩が頼もしく思えた事はなかった。Tさんは、自分のお店を離れたことは今まで一度もなかったにもかかわらず、奥さんの了解を貰って約1週間の予定で開店にわざわざ台湾まで来てくれた。
 実は、Tさんは、学生時代に私が蘭嶼に来た時のメンバー四人の中の一人でもあったのだ。したがって、Tさんにとってもこの地台東は、三十八年振りの懐かしい場所であった。
 開店当日、予想を遙かに超えて、28席しかないレストランに、昼と夜で50名以上のお客が来てくれた。厨房の中は、私とTシェフとT老板とでてんてこ舞いであったが、フロアーはアスカさんが必死になって捌いてくれた。フロアーと飲料関係のお手伝いのヨリさんとシュウフォン(ジロウさんの息子の嫁)は、事前に何度も練習をしていたのだが、本番になってアスカさんが次から次へと指示を出すので、ほとんど泣きそうになって頑張ってくれた。

・不安な営業
 2日目からは、客もほどほどになって、戦争のような忙しさはなくなったものの、客の入りは結構なものであった。
これだけお客が入れば、次の段階に進めると確信したのだが…。
どうも田舎町台東の人達には、福爾摩莎餐庁の料理の出し方に慣れていないようであった。最初の頃のメニューは、カレー関係が、カツカレーと日式カレーライス(普通のカレーライス)、和風カツライス、天麩羅定食、天丼、ポーククリームシチュー、ハンバーグ、スパゲティ・ミートソース、オムライス、シーフードフライなどであった。
 昼間は、サラダ、スープ、飲料(紅茶、珈琲、日本茶、ハーブティー)が付いて、夜はそれに前菜と最後のデザートを付けた。
お酒やワインを注文するお客はほとんどいなかったから、綺麗な彩りで華やかに並べた、スモークサーモン・カキのチーズ載せグリル風・二種類のチーズ・鶏のミニ香草焼きなど日替わりの四種類ほどの前菜は、十五秒ほどでかき集めるようにして食べてしまう。ご飯茶碗ほどの大きさのサラダ椀に盛ったサラダも、三十秒と持たない。やや大きめのスープカップで出されたカボチャスープなどは、三口ほどであっという間に飲み干してしまい、主菜が出てくるのを、首を長くして待っているという状況であった。中には、料理が遅いと言って文句を言うお客も多かった。
 どうも、料理を楽しむという習慣がないのではないかとさえ思えた。
 自助餐、弁当屋、普通の中華料理屋などでは、注文すればあっという間に、テーブルが一杯になるほど料理が運ばれてくるから、その感覚から抜けきれないのであろう。
 スパゲティは、注文してからアルデンテに茹でるから、最低でも15分近く掛かってしまう。ところが、台東の人はアルデンテを知らないので、芯が残っていて硬いから、次からはもっと柔らかくしてくれと文句を付けられる始末である。
シーフードフライは、大きなエビ二匹、ホタテとイカリングで、特製のタルタルソースを付けたのだが、ほとんどタルタルソースには手を付けないで、何も付けずに食べているようだった。最近やっとタルタルソースの美味しさが分かってきたらしく、タルタルソースのお代わりするお客もいるほどである。
また、エビの頭をとってフライにしたら、お客は怒る。エビの頭まで綺麗に食べてしまうお客も多い。エビは鮮度が落ちると、直ぐに頭が黒くなる。鮮度の少しでも落ちたエビは使えない。こんなことに気を使うのも結構厄介なものである。

試行錯誤が続き、ステーキを出したこともあったが、台湾には上質の牛肉が少なく手に入らないし、採算も取れない。カツ丼と鰻丼は、結構人気の品となった。

開店から一週間で、駆けつけてくれた日本人も皆帰り、残ったのは私とTシェフとアスカさんの三人。八月末には、私も帰国して、九月末にはアスカさんも帰国。残ったのは、現地の人達と、Tシェフだけ。
Tシェフからは毎日のようにメールで報告が入ったが、お客の数はどんどん減っていくばかりだった。九月に入ってからは、損益分岐点である客数二十四名も毎日のように割り込んでいた。
とにかく、仲間からは、石の上にも三年!と慰めとも励ましともつかないような言葉を貰いながらも、福爾摩莎餐庁は営業を続けた。
 福爾摩莎餐庁からほど遠くないところに、「F」という日本料理屋がある。日本の家庭的な料理を出す食堂という雰囲気のお店で、一杯飲みながら酒の肴を摘んだり料理を食べたりという客が結構多い。もう六十過ぎのSさんと台湾人の奥さんがやっている店である。直ぐ目の前が消防署と警察署、その奥が縣政府とかなり立地条件は良いが、そのSさんにも、何とかなるまでには五年掛かったと言われたことがあった。

とにかく現地の人達に頑張って貰うしかないようだ。

[2011/11/10 00:30] | レストラン
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福爾摩莎餐庁(三周年)2007年8月

・安定しない客数
 一周年行事の「カレー・フェアー」が終わると、また客足が少しずつ遠のいていった。
 近くの日本料理「F」は、相変わらず結構客が入り、弁当の注文もそこそこにあって、売り上げもまあまあの様子だった。 
 私は一年間の伝票をもとに、一ヵ月ごとの集計表を作り、お客の好みの傾向や、曜日によっての偏りなどを探ったりもしてみたが、これといった特徴は見られなかった。
 土日や青年節などの時には確かに客数も多くなるが、そうかといって必ずそうとは限らずに、土日でも一〇名を切ってしまうこともあった。また、客が好む料理は、値段に絡んでいることが多いように感じた。すなわち、お得な料理という訳である。煎魚排(魚のソテー)は結構人気があったが、これはイシモチの仲間である高級魚を使っていて原価も高い。客はこれを知っていて、味の好き嫌いではなく注文しているふしがある。それに一番面倒な料理でもあった。
 チラシを配ったり、ホテルにストランの名刺を置かせてもらったり、新聞にも広告を載せたり、台東を紹介する小冊子の中にも紹介したりしたが、その効果が現れたとは思えなかった。
 かといって、誰も客が来なくなるわけでもない。少ない時にでも十人そこそこは入る。 Tシェフのビザは二ヶ月毎なので、そのたびに沖縄に出てまた台湾に入国するという必要があった。その経費だけでも、一月平均にすると7000元にもなる。

・老板娘Xさんの退職
 老板娘のXさんは、一周年を待たずに学校を退職してしまった。その退職金をかなり福爾摩莎餐廳につぎ込んだようであるし、福爾摩莎餐廳からは一元の給料も取っていなかった。さらに、私達日本人が来た時のために、大きなトヨタの車「WINDS」を買ってしまった。もともと、医者のお兄さんから譲り受けたGMの車があちこち傷み出して、修理費だけでも馬鹿にならなかったという理由もあったが、なにも七人乗りの大きな車を買う必要はなかった。
Tシェフとは、毎日のようにメールでやりとりをして状況を聞き、色々な指示を与えていた。客があまり入らないので、夜の前菜を止めたいと言ってきた。前菜を準備しても客が入らないと、それは皆従業員の口に入ってしまい、さらに食材にもかなりの無駄が出る。そんなこともあって、九月からは前菜を止めた。さらに、ヨリさんとTの関係もぎくしゃくしているようだった。

・Tシェフの辞職
 一一月に入ってすぐ、Tから一一月いっぱいで福爾摩莎餐廳を辞めたいと言ってきた。それは最初と話が違うだろうと言ってはみたが、本人がどうしてもう辞めるというのでは、こちらとしてもどうにもならない。料理の仕方などは今、Xさんとヨリさんに徐々に教えているという。少なくとも私が台湾に行く一二月の末まで一月延ばしてくれないかと頼んだが、返事をしてこなかった。
そして、Tは一一月三〇日きっかりに、辞めてしまったが、彼は日本に帰らずにまだ台東に残っていた。一月に入った頃に、四維路の台東精糖の前に「カレーT屋」の看板が現れた。Tはその中で料理を作っていた。 その場所は、ヨリさんの友達がスイカやカボチャ、ジュース類などを売ったりしていた場所で、カラオケもあった。Tが台東に来てから間もない頃に、Tがレストランが思うようにならずふさぎ込んでいる姿を見て、少しでも元気を出させようと、ヨリさんがTを連れてカラオケに行った場所でもあった。 その後、Tはそのカラオケに入り浸りになっていた。

・係の大移動
 Tが辞める前は、Xさんがフロアーを仕切って、サラダ・飲料をヨリが作り。皿洗い雑用関係がアキラの仕事であった。
 しかし今は、料理をXさんが作り、忙しい時には、フロアー係に台東大学の女子学生をアルバイトで雇った。
Xさんは、料理をほとんどしたことがない人である。もちろん、野菜の炒め物とか、阿美式のスープ類とかは出来たが、カレーライスさえもまともに出来ないような人だった。そんな人が、全く知らない日本式の西洋料理を作るのであるから、よっぽどの覚悟と忍耐が必要であっただろう。
後から聞いた話だが、近くの日本料理店FのSさん夫婦は、福爾摩莎餐庁がいつ倒産するのかと、気がかりでならなかったそうだ。
そんな心配もよそに、福爾摩莎餐庁は何とか営業を続けた。

・熱心なXさん
 Xさんは、自分で料理をすることになってから、いかにして材料費を安くするかという事に熱心になっていた。もちろん美味しい料理を作るように心がけてはいたが、ある面では材料費をけちると味が落ちる。また、分量を守らないと味が変化する。
 あるとき、カレーが塩辛いとお客から何件も苦情が来たという。私のレシピ通りに作っているはずなのだが、自分で味見してみても塩辛いのだそうだ。日本のH社のルーが台湾でも手にはいるようになったので、基本のルーはそれを使って、後は赤ワインなどで細かな調整と隠し味をつけたりするだけなのだが、同じように作っても塩辛いという。
私の質問に対して、台湾の人や原住民も、本当のことを言わないことが良くある。そんな状況だと、直ぐに解決する原因もなかなか究明できない。
 約1ヶ月もの間、ああでもないこうでもないと、原因の究明に頭をひねったが、一向に拉致が明かず塩辛いカレーが作り続けられた。
 毎日毎日、インターネットの無料電話スカイプで話をしたが、やはり塩辛いカレーしかできなかった。
 福爾摩莎餐庁は、カレーの料理が多いから、このままではどうにもならない。
 そのうちに3月の末になり、私が春休みを利用して台東に戻った。そして、カレーを作ってみたら、全く辛くないし美味しいカレーだった。
 原因がはっきりした。Xさんは材料費を節約する余り、タマネギもレシピの半分しか使わず、野菜類もかなり少なくしていた。さらに、一度に大量に作ったカレーは、容器に入れて冷凍保存するのだが、冷凍温度が低すぎると馬鈴薯と人参にはスが入ってしまう。
そこで、カレーができると直ぐに、人参と馬鈴薯を取り出して別に保存していた。野菜とカレールーが別々の状態になって、野菜のうまみがルーにとけ込まずにいたのである。ルーの塩分も野菜に入り込む暇がなかったのだ。
こんなふうに、日本では考えられないことがいくらでも起こるのである。

・台湾の鶏卵
 例えば、台湾の鶏卵は、白身がまるで水のように粘性がない。容器の角で鶏卵を割ると、割った拍子に白身が全て飛び出してしまうほどである。こんな卵を使って目玉焼きを作るのは、とても大変である。先ずは鶏卵を冷蔵庫で冷やして少しでも白身の粘性を高めておく、フライパンに卵を落とす時には、細心の注意を払いそっと流し込むように落とす。フライパンの温度を少し高くして、最初に白身を流し込み幾分固まらせた後で黄身をその上に乗せる。こうしないと、黄身が白身を突き破って下に溜まり、黄身が焦げた目玉焼きになってしまう。

 だから、一般家庭で作る目玉焼きは、サニー・サイド・アップではなく両面焼きにするのが普通となっている。
私が失敗に失敗を重ねて作った目玉焼きは、あるとき馬階病院の看護婦に気に入られて、その後も何度か特別注文があった。その看護婦曰く、こんな綺麗な目玉焼きは初めてだ、と言うことだった。
 
・特別メニュー
 私が台東に戻った時に、青年節や聖誕節やお正月など、何か特別な日があるときには、特別料理を作る。これが台湾のレストランのしきたりでもあるらしい。この時ばかりは、お客は値段のことをとやかく言わない。いつもと違った美味しい料理を作ればよいのである。逆に言うと、私が腕によりをかけて料理を作ることができるのはこの時だけである。
ある時茶碗蒸しを作った。茶碗蒸しのレシピはどんな本にも載っているし、特別難しい料理ではない。ただし、ギンナンとユズが台東では手に入らないので、日本から持っていった。エビ・干し椎茸・かまぼこ(台湾のかまぼこは美味しくない)・鶏肉・筍などは台湾のもので十分である。最後に載せるミツバは、市場にある時と無い時がある。
蒸す時間も全てレシピ通りだが、できあがった茶碗蒸しは。固まっていないのである。ヨーグルト状態なのだ。色々と考えたあげく、やはり卵に問題があると見て、レシピより一つ多く卵を入れた。素晴らしく美味しい、綺麗に固まった茶碗蒸しができあがった。

・刺身定食
 台東の人はお刺身が大好きだから、刺身定食をメニユーに載せると、結構売れる。私は、定休日の火曜日には必ず新港まで言って、刺身の魚を買い込む。新鮮だが日本のスーパーで買う値段とほとんど変わらない。これを日本の二分の一の値段で定食に仕上げて売らなければならない。台東の人は魚に結構うるさいから、ごまかしはきかない。ちょうど良い温度に保つのが大変である。そのための冷凍庫はないし、冷蔵庫では柔らかくなりすぎる。

 トンボのT老板とも相談して、二重発砲スチロール作戦を考えついた。丸ごと買ってきた魚を捌いて柵にした物を、ふきんで綺麗に包み、発砲スチロールの中に薄く氷を敷き、その上に載せて、さらに大きな発泡スチロールの箱に入れて、冷凍庫の中に入れる。毎日三回ほどこの中の状態を見ながら、外に置いたり冷凍庫の中に入れたりして、温度調節をする。こうすると一週間以上は、結構新鮮な状態でお刺身ができる。鯛を買って、その皮を湯引きしたものを出したこともあったが、湯引きに関してはお客から結構質問があった。
湯引きは食べたことが無いのだ。

 鯖は、時々マサバではなくゴマサバが手にはいる。これは、シメサバにして出してみるのだが、余り評判は良くない。
 それに対して、スモークサーモンなどの薫製類はとても評判がよい。台東にはアミ族が多く、阿美が昔から薫製を良く作っていた関係もあるのかも知れない。

 市場に行くと、数限りない食材があるのだが、日本にある食材とは全く違っていて、戸惑うことが良くある。さらに、日本には普通にある食材がないこともある。とにかく、「入郷随郷」(郷にいれば郷に従え)で、台東にある食材を使って、何とか日本風の料理
と西洋料理を作っていかねばならない。
 
・ビーフ・シチュー
アメリカ牛肉が最近解禁された。しかし、台湾に入ってくるアメリカ牛肉は、ニュージーランドやオーストラリアの肉と比べればかなりおいしいが、しかし、本当に美味しい肉は皆日本などに行ってしまい、台湾にはそこそこの肉しかない。本来ならステーキも作ろうと思ったが、これは諦めてニュージーランド産のバラ肉を使って、ビーフシチューを作った。ドミグラスソースが決めてではあるが、日本のビーフシチューの素に改良を加えて作ってみた。これは結構売れたが、Xさん達にはどうしても作れない。私が台東にいる間だけの料理となってしまった。
 
・雪魚の煮付け定食
 煎魚排は、ソテーに時間が掛かり、添え物の野菜炒め類にも時間が掛かり、ソースも作らなければならないから、Tシェフが辞めてからも暫くは作っていたが、お客が多くなるととても手が回らなくなり、メニューからはずしたいとの要望がXさんからあった。そこで、それに変わる魚料理を考えなければならなくなった。煎魚排をやめてしまうと、魚料理が一つもなくなってしまう。以前は、サンマの焼き魚定食を作ったこともあったが、一匹一〇元のサンマの定食では、定価を余り高くできないし、サンマの焼いた匂いが、店中に充満して、まあまあの高級レストランとしては、沽券に拘わる。
焼き魚は時間がかかるが、煮魚ならそう時間もかからない。台湾の「雪魚(シュエユイ)」 はタラの一種ではあるが、まるで銀ダラやメロのように美味しい。そこで、「雪魚定食」をメニューに載せることにした。生薑を入れた醤油ダレを作っておいて、それに入れて煮れば終わりである。時間も掛からないし、評判も良かった。

・鰻のタレ
 福爾摩莎餐庁の鰻重も結構鰻が大きくて評判が良いようだが、タレに問題があった。どうもタレが魚臭い。北京語では生臭いことを「腥味(シンウェイ)」 という。そこで、タレを一度レンジで温めなおしたら、かなりその生臭みが取れた。しかしまだ日本の鰻のタレに比べたら、月とすっぽんである。今研究を重ねている。高い食材を使って時間をかければ、美味しい料理ができる。でも、安い食材で時間をかけずに美味しいものを作るとなると、結構難しい。一食二万円でも予約が次から次へとはいるような、老舗の高級料理屋ではないから、そこで頭をひねってしまうことが多くなる。

・フルコース料理
 昨年の聖誕節(クリスマス)と日本の正月に当てて作ったフルコース料理は、前菜と食前酒、スープ、茶碗蒸し、主菜二品(松花堂弁当とビーフシチュー)、飲料、デザートで、日本円で一五〇〇円ほどである。ビーフシチューは、実はおまけで客の反応を見たかったので出した。松花堂弁当は、エビとワカメを和えた酢の物、豚肉の牛蒡巻き、テリーヌ二種、エビフライ、イカフライ、ホタテフライ、刺身三品(マグロ・カジキ・サーモン)、鳥の串焼き、鴨のロースト、いたわさ三種(明太子・わさび漬け・キャビア)、ポテトサラダ、きんぴら、お付け物などなどであった。 其れでも完売したから良かったものの、手をかけた分と値段が一致していない。
それでも、何とか色々と工夫をしながらお客を惹きつけなければならない。
日本にいる仲間は、倒産しないだけでも凄いことだと慰めてくれるが、私にはこの先の計画があり、人生も残り少なくなってきている。
 
・第2回カレー・フェア
 二〇〇六年の八月六日に、第二回チャリティーの「カレー・フェアー」を行った。第二回の売上金は、原住民に関係する福祉団体に寄付した。第一回の時と同じように、色々な新聞社の取材が入った。さらに、この事が、行政院(日本の国会)のHPに載った。
 第三回のチャリティーは、二〇〇七年の八月五日である。父親節が八月八日(パパ節)に一番近い日曜日に設定してある。
三周年、四周年とできる限り長く続いて欲しいと願う。
もし少しでも利益が出れば、先ずは台湾原住民特にアミ族の博物館を、台北ではなく本来のアミ族の地である台東に作りたい。
しかし、こういうボランティア活動をするにも、台湾の法律の壁は厚く、なかなか思うようにはならない。

先ずは、三周年記念行事が成功することを考えて、日本の仲間と現地の原住民の人と一緒に頑張りたいと思う。

[2011/11/10 00:28] | レストラン
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福爾摩莎餐庁(1周年)2005年8月

・一周年記念行事
 色々な問題を抱えながら、それでも何とか一年が過ぎようとしていた。
一周年記念の行事として、チャリティー事業を考えついた。「一周年記念チャリティー・カレーフェアー」と題して、一食分のカレーを二〇元(約七〇円)で売り、この一年にお世話になった人達に報い、さらにその売り上げを恵まれない団体に寄付するというものである。結構世間の注目を集め、店の繁盛にも繋がるだろうし、宣伝効果もあると考えた。
・試行錯誤
 レストランの方は、一年近く経って、メニューもある程度安定してきた。カレー関係は、カツカレーの他にエビフライカレーも出した。また、シーフード・スパゲッティも結構な人気があった。この店の丼物と言うのは、実際には全て重箱に入れて出しているから重丼であったが、カツ重、鰻重は結構定着してきた。オムライスは、私がいる時にはタンポポ風オムライスを作った。伊丹十三監督の映画「タンポポ」で有名になったオムライスである。でも、私がいない時には、時間が掛かることと、焼き卵がうまく開かなくて一時メニューからはずした。その代わりに、煎魚排(魚のソテー)を加えたり、法式(フランス風)魚排という、クリームソース(隠し味に味噌を使った)をふんだんに使った焼き魚料理も出した。
 本来は、ハンバーグを主体にした洋食屋を考えていたが、台湾の牛肉では美味しいハンバーグはできなかった。
スープは、カボチャスープ、冬瓜とホンシメジ(シロタモギタケ)のコンソメ風スープ、三色野菜コンソメスープ、キノコクリームスープ、コーンクリームスープ、味噌スープ、クラムチャウダー、ミネストローネなど、台東のレストランでは出していないようなスープを作って出すように心がけた。中には、カボチャスープを宛にしてくるお客もいた。
台湾では、コーンクリームスープというのが一般的だが、コーンの味などほとんど無いような牛乳を薄めたようなスープだったから、福爾摩莎餐庁のスープだけでもかなりの価値があると、私達は思っていた。でも、本当のスープの味を知っている客はほとんどいないのである。

台東市内の一番大きなホテルは、那路湾大飯店だが、そこでスパゲッティ・ミートソースを食べたヨリさんは、福爾摩莎餐庁のミートソースの方が美味しいと言っていた。それもそのはず、赤ワインをふんだんに使い、鶏のレバーを入れたり、日本から持っていったりイタリアから取り寄せたポルチーニ茸を入れたりして、半日かけて作った物であるが、その美味しさを感じてくれる人達がほとんど台東にはいないのである。
那路湾大飯店の洋食料理の主任シェフをしていた人と話をしたことがあるが、台東はまだ一〇年早いという。本当の料理の味が分かってくれる人がほとんどいないというのだ。海外によく行っている商社マンや飛行機の機長などはOKだという。
しかし、そんなことを理由にしても何もならない。とにかく本当の味を知って貰うように努力するしかない。でも、中には舌の肥えた人がいて、良く来てくれる客もいる。
そんな人がいるとこちらも嬉しくなって、特別にワタリガニのスパゲティを作ってあげたりするが、どうも慣れないらしく反応がいまいちであった。

・チャリティー・カレー・フェア 
 一周年の記念日には、日本からも手伝いでK幹事長(これはOB会の万年幹事だったからついた名称)やSさんが来てくれた。そのためのチラシも作ったし、整理券も作った。チラシは、台湾では白い紙を使ってはいけない。白は死んだ人を意味するというのである。だから、日本で白い車が沢山走っているのを見て、台湾の人は結構驚くのである。そこでチラシの色はピンクにした。整理券はグリーン。  
一周年記念のチャリティーは、開店記念日の八月八日に最も近い日曜日ということで、二〇〇五年の八月七日の日曜日に決まった。午前と午後の二回で二〇〇食を準備したが、五〇個ほど余った。したがって、チャリティーの売り上げは三〇〇〇元と少し、これに七〇〇〇元足して、一万元を知能障害者の団体である「牧心智能発展中心」に寄付した。
台湾の大手新聞の自由日報が、私達の件をかなり大々的に取り上げてくれて、全国版に掲載してくれた。その他にも地元の更生日報など何社かの新聞でも、私達のチャリティーのことが報道された。儲かったお金を寄付するのではなくて、赤字覚悟で物を売って、さらにそれに自分達のお金を上乗せして寄付するという考えは、台湾の商売人にとってはとんでもないことだと思われていたようだった。
 そんな話題性のお陰もあってか、この後暫くは客の入りもまあまあだったが、時が経つにつれてまた客数は尻すぼみになった。

それにしても客数は不安定で、ある時には四〇人入ったり、ある時には一〇人しか入らないというような状況が続いた。

[2011/11/10 00:11] | レストラン
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////// 日式西餐・洋食 福爾摩莎餐廳 
Restaurant Formosa

◇日本の「洋食」!
 福爾摩莎餐廳(レストラン・フォルモサ)は、日本の「洋食(ようしょく)」をメイン料理として皆様に提供いたしております。
 日本の洋食は、今から130年程前に日本に渡って来た西洋料理を基本としています。 その西洋料理は長い年月の間日本で改良・研究が重ねられ、今では完全に日本人の心の中まで溶け込み、多くの日本人に心から愛される日本式西洋料理として定着しました。
  レストラン・フォルモサのメニューには、数ある洋食の中でも特に日本人に人気があり、台湾の皆様にもきっと喜んで頂ける料理を厳選して載せてあります。 日本の「寿司」・「ラーメン」同様に、「洋食」も必ずや台湾の皆様に気に入って頂けるものと確信しております。
 さらに、皆様に本当の洋食を堪能して頂くべく、いろいろな雰囲気作りとサービスも提供させて頂いておりますので、どうぞ心ゆくまでごゆるりと日本の「洋食」をお楽しみ下さい。
◇ 「洋食」の福爾摩莎餐廳!
 福爾摩莎餐廳(レストラン・フォルモサ)は、こよなく台湾台東を愛する多くの日本人の方々のご支援・ご協力を得て、2004年8月8日に開店いたしました。
 店名の「福爾摩莎餐廳、レストラン・フォルモサ、Restaurant Formosa」は、その昔台湾を発見したポルトガルの船乗りが発した言葉「イラー・フォルモサ(麗しの島)」に由来しております。
 最近の日本では、毎日3度ある食事の1度は洋食が食べられていると言われています。 特に若者の間では、そば・うどん・ラーメンなどの麺類に並び、カレー・ライス、オムライス、スパゲッティやカツ丼などは圧倒的な人気を誇っております。
 福爾摩莎餐廳は、洋食を中心にした日本の料理を台東の皆様に誠心誠意提供いたします。
 台湾台東の豊富な食材を生かし、さらなる研究を重ね、皆々様のご期待に添えるよう精進いたしてゆく所存でおりますので、今後ともご愛顧の程なにとぞよろしくお願い申し上げます。
◇ くつろぎと潤いの空間!
肉や魚貝類などのメイン料理はもちろんのこと、サラダ、スープ、前菜やデザートなども
取りそろえ、お好みに応じてご賞味頂けように工夫致しております。
 また、ワインや日本酒などもご用意いたしておりますので、前菜と共に食前酒などを楽しみな    
がら、ごゆるりとおくつろぎ楽しんで頂ければ幸いです。
 各種パーティー、会合などのご予約も承っておりますので、人数、ご予算など、お気軽にご相談下さい。
                      




[2011/11/07 01:07] | レストラン
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