台湾台東に関わって40数年、その間に経験した楽しかったこと面白かったことびっくりしたことなど、現地の状況や日本との比較なども含めて紹介したいと思います。
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台湾の原住民族


チヌリクラン

チヌリクラン(ヤミ族の舟)

現在:台湾人口2300万、原住民人口50万弱


台湾原住民は、17世紀頃に福建人が移民して来る以前から台湾に居住していた先住民族の総称である。

私が初めて台湾を訪れた1967年当時は、台湾の人口は1300万人ほどで、高砂族と呼ばれていた9種族の人々は全部合わせてもたかだか20万人ほどであった。
その当時、彼等高砂族の中には自分達が高砂族であることを嫌っていた若者も多く、公の場で自分達の言語を使うことを避けていた者も数多くいた。自分達がなぜ高砂族として生まれてしまったのか、その運命を嘆き苦しむ者もいた。その影響もあって、最近の原住民の若者には、自分達の民族の言葉を少し聞くことは出来ても話せない者が多い。

1890年代に入って、アメリカインディアンの先住民としての権利や労働の権利を要求する声が高まり、少数民族を社会的弱者として救済していこうという動きが世界の先住民にも浸透していった結果、国際労働機関(ILO) で先ず先住者の権利に関する条約が採択された。続いて、1990年に第一回アメリカ大陸先住民族会議が開かれたのをきっかけに、1992年の、リオデジャネイロにおける地球サミットの開催と合わせて、「世界先住民族集会」が開かれた。

この頃から、台湾でも原住民族を保護し救済するという動きが活発になり、最近では、原住民の言葉のラジオ講座や、原住民の言葉だけのテレビチャンネル等も出てきた。台湾の学校でも原住民の母語を教えるクラスが開かれている。

日本では原住民という言葉は「差別用語」として扱われるために、台湾を訪れる日本人に中には、気を使って「先住民」と彼等を呼ぶことがあるが、これは明らかに間違いである。
台湾の少数民族の人は、自分達を自ら「原住民」と呼んでいる。その理由には二つある。 一つは、自分達少数民族は、今いる台湾人や外省人よりちょっと「先」に台湾に住んでいたのではなく、もともと最初(原)から住んでいたということ。
もう一つは、今台湾で公用語として使われてる国語(北京語、漢語、普通語とも言われる)で、「先」と言う意味が「祖先」そして「死」に繋がる言葉だからである。
台湾では、堂々と彼等を「原住民」と呼んで欲しい。

また、台湾の原住民の種族に関してはかなり複雑である。
日本が台湾を統治した1895年には、台湾原住民は「平埔蕃」(平地に住み漢化が進んだ原住民)、「熟蕃」(国に漢化が進んだ原住民)、「生蕃または高山蕃」(殆ど漢化が進んでない原住民)の三種類に分類されていた。
日本は直ぐに台湾原住民の調査に乗り出し、平埔蕃を「平埔族」に、生蕃・高山蕃を「高砂族」と呼ぶようにした。
戦後、中華民国政府が台湾に乗り込んできて、高砂族を「高山族、山地同胞(山胞)」などと呼び同化政策を進めていったが、1990年代の民主化の流れや世界的な先住民族保護の流れなどから、現在では「台湾原住民族」と称している。

日本が統治した頃、鳥居龍蔵、伊能嘉矩、鹿野忠雄、森丑之助等によって、彼等の生活や言語、風俗習慣など多岐にわたって克明な調査が行われ、その結果として高砂族を9種族に分類したのである。

その9種族とは、

1.アミ族(阿美 Ami) 人口約15万人

2.タイヤル族(泰雅 Atayal) 約7万人

3.パイワン族(排湾 Paiwan) 約7万人

4.ブヌン族(布農 Bunun) 約4万人

5.ルカイ族(魯凱 Rukai) 約1万人強

6.プユマ族(卑南 Puyuma) 約1万人

7.サイシャット族(賽夏 Saisiat)約7千人強

8.ツオウ族(鄒 Tsuo) 約7千人強

9.ヤミ族(雅美 Yami) 約4千人

そして、中華民国となってから、10番目の原住民族としてツオウ族の一部とされていたサオ族(邵 Saou、人口300人弱)が、また花蓮縣に1000人強いるとされるカバラン族(噶瑪蘭 Kabalan)が第11番目の原住民に指定された。
2004年には、タイヤル族からタロコ族(太魯閣 Taroko、約3万人弱)が第12番目の原住民として別れ、2007年には、花蓮アミ族と共存生活をしていたサキザヤ族(撒奇菜雅 Sakizaya、約5千人から1万人)が、正式に第13番目の原住民となった。
さらに、2008年にセデック族(賽徳克、6千から7千人)が、第14の台湾原住民族に認定された。

ちなみに、平埔族の部族名を上げておくが、かなりまだ曖昧な点が多いようだ。しかし、台湾へ行った時、あるいはこの様な名前を耳にすることがあるかも知れない。

 ケタガラン(凱達格蘭族) 北部
 クーロン(亀崙族)  北部
 バサイ(馬賽族)  北部
 クバラン(葛瑪蘭族) 宜蘭
 トルビヤワン(哆囉美遠族)宜蘭
 タオカス(道卡斯族)  苗栗
 パゼッヘ(拍宰海族)  台中
 パポラ(拍暴拉族)  台中
 バブザ(巴布薩族)  彰化
 ホアニヤ(洪雅族)  台南・嘉義
 アリクン(阿立昆族)
 ロア(羅亞族)
 シラヤ (西拉雅族)  台南
 マカタオ(馬卡道族)  屏東

1989年8月、私は台中から埔里に入った。蝶や昆虫の標本展示で有名な木生博物館を見て、埔里市内の剥製屋を廻り、ウンピョウやカワウソの剥製を探したが、見つからなかった。
埔里まで来たついでとばかり、バスに一時間ほど乗って霧社事件で有名な霧社に向かった。霧社でバスを降りると直ぐに、霧社事件の記念碑とその時のリーダーであったモーナルダオの墓に参拝した。
そしてさらに、その奥の村「廬山」(台中縣仁愛郷)まで足を伸ばした。泊まる当てもないまま歩いていると、通りかかったおばさんが民宿を紹介していくれた。
吊り橋を渡って右に登りかけたところで、大きなドーベルマンにしつこく吠えられた。さらに登ると簡素だがこぎれいな好望山荘という民宿があった。ウイークディだったためか、宿泊者は私一人だけだったから、民宿のご主人孔(こう)さんや家族の方達と色々な話が出来た。

孔さんはタイヤル族だったのだが、私たちは烏来(ウーライ)のタイヤル族とは言葉もかなり違うし習慣も違うので彼等と同じタイヤル族であることに納得がいかないと言っていた。そして孔さんは自分達をタロコタイヤルとして区別していたのである。日本人の研究者はどうして私たちを一緒くたにしてしまったのかと、愚痴もこぼしていた。
そんなことを耳にしていたので、2004年に、タイヤル族からタロコ族が正式に分かれ独立した民族となったのを聞いて、ちょっと嬉しく思った。
孔さんとは、1999年9月21日の台湾大地震(921集集大地震)以来連絡もなくなっているが、孔さんもきっとこの事ではすっきりしたことだろう。
その後数年経って台中を通りかかったことがあったので、孔さんのいる廬山まで行ってみようとしたが、まだ道が復旧しておらず無理だった。

サキザヤ族がつい最近になって、独立した民族として正式に登録されたのは、興味が湧く話である。
1800年代後半、清国統治に反抗して、サキザヤ族とカバラン族が「加礼宛(かりわん)事件」(加礼宛(かりわん)は、宜蘭地方の地名の一つ)を起こした。その後清国の報復を恐れた二種族は、最大の民族であるアミ族の中に逃げ込んだ。アミ族はその人達を保護し、何と130年に渡って匿い通したのである。 日本統治時代に花蓮のアミ族を調査した研究者は、アミ族と友に暮らしている彼等をアミ族の一派と見なした。彼等の話す言葉も、アミ族の一方言とされたのである。
最近になって、タロコ族など三種族が新たに独立した流れに乗って、彼等も自ら独立した民族として認定するように働きかけて認められたという次第である。
日本の学者もすっかり騙されていたと言うことだ。この辺にも人類学の難しい一面が見て取れるような気がする。

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[2011/10/26 23:09] | 台湾原住民
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2015/11/10(Tue) 11:14 |   |  #[ 編集]
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