台湾台東に関わって40数年、その間に経験した楽しかったこと面白かったことびっくりしたことなど、現地の状況や日本との比較なども含めて紹介したいと思います。
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エッセイ集

「幻のタイワンザル」 を追って 紀要 昭和61年3月5日発行

台湾は、中国大陸の東方太平洋上に浮かぶサツマイモ形の九州くらいの島で、北は琉球諸島に連なり、南はバシー海峡を隔ててルソン島を望む人口1800万人の国です。正式には「中華民国」と呼び、経済的・文化的交流はあるものの、中国との国交回復と引きかえに。日本は国交を断絶しています。
サルというと誰もが動物園の人気者であるニホンザルを頭に浮かべることと思います。私達が長年調査しているタイワンザルも、尾の長いことを除けば外見的には二ホンザルと同じです。両者ともマカク属であり、いわば兄弟といったところですが、生息環境・食性等はかなり異なっています。そのため社会生活にも大きな違いがあると考えられて調査を続けてきました。
 私が大学生だった頃の、一一九六七年から七一年までの五回に渡る調査では、東部海岸山脈に数ヶ所の群れを観察しただけの本当に貧弱な調査でした。台湾は狭い国土に拘わらず、三千メートル以上の山が60座もあるという山国で、原住民である高砂族(ミクロネシア・ポリネシア系で九種族に分かれている)を保護するという名目で一般人は許可がなければ山奥には入れません。また、入ったとしてもきちんとした道はなく、地図もない状態で、ただサルに遭遇することを期待してひたすら山の中を歩き回るといった状態でした。山に入ると足の中にヤマビルが入り、ちょっと休憩すると蚊、ブヨに血を吸われ、毒蛇が七種類もいて足下に気をとられ、橋がないところは泳ぐように川を渡り……。最初の内は、サルを探すというより山を歩き廻るだけで精一杯でした。それでも過去五〇年間日本が統治したため、現地の年配の方は皆、日本語が話せます。それがせめてもの救いであり、高砂族の案内人や猟師の人達と山の中でテントを張り、ムササビ・リス・ワラビ・キクラゲさらには、サルまで食したことは今でも素晴らしい思い出として残っています。(資料によれば、日本人も追最近まではサルを食べていたようです。)
その中でとりわけ、高砂族(ピュマ族)の猟師と山奥に入った時のことは忘れることができません。ある小雨の降る早朝、サルが良く来るという断崖の下で寒さに震えて待機していた時、やっとサルが現れました。二〇匹以上の大きな群れに出会うのは初めてのことで、心を躍らせて観察を始めました。ところが三分も経たないうち猟師が「撃ってもいいですね!」と私に安全装置のはずされた銃口を向けて怒鳴ったのです。私はそこで反射的に「はい!」と返事してしまいました。このことは今でも悔やまれます。
ここ一五年間の調査では、予想以上に成果も上がり、その結果タイワンザルの生息域は年々狭まり数も減少していることが分かりました。保護の必要性を感じ各方面に問いかけたところ、昨年の夏には国立地湾大学の動物学系から共同調査の申し入れがあり、いよいよ調査も本格化してきました。
現在、台湾大学の学生によって最南端の墾丁公園の群れが継続的に調査されており、私達の定点観測地である知本温泉の群れの調査も毎年行われています。後一〇年すれば、現在のニホンザルの知見の数分の一位は解明できることでしょう。世界的に有名なニホンザルにしても、四十年以上かけてまだ未知の部分が山積みされている状態なのです。その意味では、タイワンザルはまだほんの輪郭を覗かせただけであり、ここしばらくは「幻」のような存在です。


「台湾の自然と人々」教育研究会会報 平成3年9月30日発行
      
大学時代に蝶の調査で訪れたのを機に、二十四年間、九州ほどのこの島の風土に魅せられ通いつめている。
タイワンザルの調査が一段落し、今は絶滅に瀕しているセンザンコウ(穿山甲)の分布を調査中である。
 山に入れば、原住民族の高砂族の人々との付きあいが不可欠で、日本語と片言の中国語・英語そして高砂の言葉の飛び交う中で酒を飲み、歌い、踊りながら情報を集める。
 時には、子供達に道を尋ねたり、山の動物について訊くこともある。また、初訪問の土地では、学校は格好のベースキャンプとなる。学校へ行ば必ず誰かがいて、話をしている内に次の予定が決まる。
 山の子供達は皆陽気で、元気で礼儀正しく、ちょっぴりはにかみ屋だ。
漢民族と違い、浅黒い肌に彫りの深い顔、大きな目がとても可愛い。ところで、遙か昔から築かれてきた彼らの文化・言語は、今まさに消えようとしている。十代の子供は、高砂族の言葉(九族九種類ある)が聞けても話すことができない。老人との交流が思うようにいかない家庭もある。素晴らしい台湾の自然と彼らの貴重な文化が、正しい形で残ってほしいものだ。だが、台湾は今発展著しい。


「アミ族と30年」 PXXだより 1997年12月20日発行
                 

私は大学一年の春初めて台湾に渡り、その後三〇年間昆虫やタイワンザルなどの調査を続ける一方、少数民族の生活や文化の記録もとり続けています。

 アミ族とは
 中国大陸の東方太平洋上に浮かぶ九州ほどの島「台湾」は、その昔ポルトガルの船乗りに「イラー・フォルモサ」(麗しの島)と呼ばれた。名実ともにそれは美しい島である。現在、漢族系を中心に二二〇〇万人の人々が暮らしている。日清戦争終結後の、五〇年間日本の植民地としての経験を持つ国でもある。
日本統治時代に、「高砂族」と呼ばれた彼ら少数民族は、戦後「高山族」または「山地山胞」と呼ばれ、つい最近になって彼らが選んだ「原住民」と名称が改められたものの、種々の差別の中で懸命に彼ら独自の文化を守り抜こうとしてきた。しかし、九種族合わせても三〇万人という数では、高度経済成長を遂げた台湾の文化や漢族の習慣に、彼らの文化が押し流されてしまうのは、時間の問題であろう。アミ族は、自らを「バングツァハ」と呼び、国語では「阿美族」と言われているが、九種族ある少数民族の中では、一〇万人と最も人口が多い。彼らは、台湾東部の花蓮縣から台東縣にかけての海岸地域で、古くから主に稲作を生業としてきた。他の種族のほとんどが、狩猟採集を中心とした生活文化を持ち、首狩りをしていたことを考えるとアミ族は、たいへん穏和で、また最も早くから漢族文化に接触していた種族である。
 アミ族のものの考え方
アミ族には「ありがとう」という言葉がないと言う。ある時若いアミ語の研究者に聞いたところ、「そんなこと張りません。ちゃんとあります。『アライ』と言うのです。」と言う。所がよく調べてみると、この「アライ」と言う言葉は、キリスト教の教えの中から発生したもので、もともアミ語に有った言葉ではないという事が分かった。
 アミ族の生活は、母系制に支えられた原始共産制が基本となっていたそうだ。山の野菜・海の魚・貝・海藻など余剰物は、何でも皆、隣近所に配る。台風で家が壊れたり、人手がなくて田植えができない等困っている家にはみんなで助けに行く。「ありがとう」を言っていたら切りがないのであろう。現在では日本語の「ありがとう」か、中国語の「謝謝」を使う。私の調査値である台東で「アライ」を聞いたことはない。
 入り婿(カダフ)が基本だから、家庭内のもめ事も比較的少なかったようだ。もめ事はみな民主的に選ばれた頭目が処理した。当事者双方が頭目の前で事情を説明した後、頭目が解決するが、判決の中では「良い」とか「正しい」と言うような言葉は絶対に使わないと言う。「こっちは三悪くて、そっちは七悪い」と言うそうだ。どち
らも悪いのだから、双方が謝らなければならない。悪い割合に比例して、酒を買い、その酒を頭目の前で一緒に飲み、仲直りをするという。両方が悪いと言うことなら、恨みも残りにくかったろう。
 自然に対する考え方も、とてもロマンティックで素敵である。自然の全てを友達と考える。樹も、月も、石も、毒蛇も皆友達。だから夜一人で山に入っても怖くないという。自分が悪いことなどしていなければ何も怖いことは無いのだという。その「友達」を採ったり、捕まえたりして食べてしまうのだから、自然保護の考えが生まれつき備わっていたと言って良い。彼らの生活空間では、自然がバランス良く保たれていた。
 これらの話は、もうすでに過去のものになりつつある。今のアミ族の生活を見ていると、昔の素晴らしい習慣や考え方はすたれ、漢族化・近代化された合理的で個人主義的な言動が横行し目を覆いたくなるような有様も、あちこちで見られる。
 アミ族に限ったことではないが、良い習慣を残しながら、新しいものを取り入れるという知恵は、どうして成り立たないのだろうか。原住民文化の保護や生活の改善があちこちで叫ばれているが、どうも効果の上がる内容のものではない。もう一度、根本から考え直さなければならない時期に来ているのではないだろうか。



「ブヌン族の王さん」 エッセイ100「遠くのあなたと」 KDD総研編1997年
       
台湾の焼け付くような夏の太陽と草いきれの中で、私は、複雑な思いで手を合わせた。
 いかにも中国風に、白地に朱と金で彩られた墓の辺りは、金銀の蓮の造花が散乱し、暫く人が参った気配はない。早く来なければと思い、台東に着いて一番で駆けつけたのだがあの電話から既に三月が過ぎていた。
 五月の連休を秩父の山で過ごし、家に戻った夜、電話のベルが鳴った。       
 「昨日、父が亡くなりました」
 市内電話のように澄んだはっきりした声だが、日本人ではない女性の声がそう伝えた。
 そして、何回かのやりとりの後で、声の主が王さんの娘だと分かった。
 二年前、海岸山脈の麓にあるブヌン族の小村で、初めて王さんに会った。人伝にやっと尋ね当て、山の動物の話を聞いたのだ。小柄だが、狩猟民の血を漲らせた、がっしりとした体躯。鋭い大きな目が印象的だった。六十過ぎのこの体で、山の中を縦横無尽に走り廻り、自分程もある山豚を担いで帰るという。
さらに半年後、近くの北山へ一緒に入ることができた。丸一日、王さんの後に付いて、獣の足跡を辿りながら北山を歩き廻った。
 王さんは、オートバイの事故で二週間前に入院し、そのまま不帰の人となってしまった。
娘が付き切りで看病している間、私と山に入った時の話を、繰り返し繰り返し娘に聞かせたという。もう一度山に入り、もっと沢山の動物を私に見せたいと洩らしていたそうだ。
 私と過ごしたあの二日間が、なぜ、王さんの心にそんなにも深く刻み込まれたのだろうか。あるいは、台湾原住民の、日本人に対する戦後五十年間の凝縮された想いが、私に特別な思いを抱かせたのかも知れない。
 ブヌン族のプライドを持ち続けながら、半分は日本人ですと言ってくれた王さん。日本時代の痛みを心の底で負いながらも、純朴な親愛の情を向けてくれた王さんに、改めて懐かしさを感じた。
 

ユリシス (Ulysses Swallowtail, Papilio ulysses、オオルリアゲハ)2004年2月
                            

Swallowtail と言うのは、アゲハチョウ科アゲハ属(Papilio) の英名で、多くの種が尾状突起を持ちその形がツバメの尻尾に似ているところから付けられた名前である。日本ではSwallowtail と言うと一般的には「キアゲハ」のことを指す。食草のニンジンの中に緑地に黒と橙色で飾られた保護色の幼虫は、アゲハチョウ科の中でもサイケデリックな色彩で人から嫌われている。
 「スワロウテイル」と言う題名の映画が1996年にあった。東京近郊にできた仮想の移民街イェンタウン(煙街)を舞台にした青春ドラマであった。不気味な幼虫から華麗で美しい成虫のキアゲハに羽化するように、主人公達も変身する…。
 小学生の頃から蝶のコレクターだったので、今回のケアンズ行きには胸が高鳴った。さらに、30歳半ばの頃にオーストラリアで有袋類の研究をしようと本気で移民を考えたこともあったから尚更である。
 ブルーの金属光沢(南米のモルフォチョウの色に似る)に輝くアゲハチョウ「ユリシス」は、先住民族アボリジニの間でも「森の精・幸運を運んでくる蝶」として崇められている。そんな蝶を一目みたいとケアンズの地に立った。
一度見ると幸運が訪れるが、二度見るとその幸運は帳消しになり、三度見るとさらにすばらしい幸運がやって来るという言い伝えがあるそうだ。               
アサートンの熱帯雨林の中で、頭上高く飛ぶユリシスを見た!だが、澄み切ったブルーの空に黒いシルエットとしてしか見えなかった。あの美しいブルーは最後まで見せなかった。
オーストラリアの研修旅行で生徒達はいろいろな経験をし発見をした。その発見や経験を生かして、これから先にswallowtail  のように美しい蝶へと変身して欲しいものだ。 さらに、幸運を運ぶ蝶ユリシスになって欲しい!  

(注)ユリシスはローマ神話での「ユリシーズ(ウリッセス)」そしてギリシャ神話での「オデッセウス」ですが、現地ではユリシスと言われていました。                                          

                             

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[2011/11/01 23:13] | 読み物
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