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台湾台東に関わって40数年、その間に経験した楽しかったこと面白かったことびっくりしたことなど、現地の状況や日本との比較なども含めて紹介したいと思います。
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ウンピョウを追って (1990年~)

・ウンピョウ(雲豹)
 ウンピョウ(雲豹)は、食肉目(ネコ目)ネコ科に属する中型の肉食獣であり、中国南部からインドシナ半島、スマトラ島、ボルネオ島などに生息が確認されているが、その生態についてはまだ殆ど分かっていない「幻の豹」である。
 そのウンピョウが台湾に生息していると言うことは、生物地理学的に見ても、大変興味深いことである。
 生物地理学の権威であった徳田御稔は、台湾と中国雲南の齧歯類の比較において、中国大陸と台湾の地理的関連性について述べているが、このウンピョウについても、やはり台湾と雲南に同じように生息していると言う事実は、彼の理論を裏付ける一つの例として、とても興味深いことである。

ところが、台湾のウンピョウについては、すでに絶滅してしまったとする見解が多くあるので、私はその発見に胸がときめくようなロマンを感じた。

・ウンピョウは絶滅か? 
 鹿野忠雄が1930年代に台湾の動物について述べている中で、ウンピョウについては次の様な報告をしている。
 「雲豹は以前台湾の全島森林に広く分布していたが、今では殆ど普通には見られず、南部および東部の海岸山脈からの記録が比較的多く、北部では殆ど記録は見られない。雲豹は、主に1000mほどの原始密林に生息し、普通樹上に伏せてキョンやカモシカやサルなどの獲物を待つ。現在森林面積が次第に狭まって行く中で、その獲物の数も減少し、雲豹の数も激減しているものと思われる。もう既にかなり長い間、目撃記録もない。もう既に絶滅へと向かっていると思われる。もし現在も生息している可能性があるとすれば、知本山区や雙鬼湖当たりであろう。」

日本には、すでに絶滅したと言われているニホンオオカミを、何とか見つけ出そうというニホンオオカミ研究会なるものが存在し、時々新聞を賑わしていた事もあったが、台湾のウンピョウはニホンオオカミ以上に発見の可能性が高いと感じていた。
鹿野忠雄が、私が生まれる前に既に絶滅したのではないかと言っていた雲豹を、なぜ私は、まだ発見の可能性があると思ったのか?
 一つには、台湾の山の奥深さである。私は台湾の山を実際に歩いてみて、台湾ならまだ新種の蝶を発見できると確信した。そのくらい台湾の山は深く、未知なる可能性を秘めているのである。

・ウンピョウの毛皮
 さらに、 私が初めて台湾に来て、延平郷紅葉村のブヌン族の部落を訪れた時に会った頭目が、戦国時代の武将が身につける陣羽織のように、ウンピョウの毛皮を身に付けていたのである。
 また、捕里の動物剥製専門店でも、何頭かの雲豹の剥製を見たこともある。
まさしく、ウンピョウは台湾にいたのである。
紅葉村のブヌン族は、日本統治前にはかなり高地に住んでいて、狩猟により生計を立てていたが、統治後は台湾総督府の山地保護の名目で、山の麓まで下ろされてしまった。
 台湾でウンピョウが生息していると言われる玉山付近や大武山の位置関係は、彼等が昔住んでいた山奥の村の狩猟地域とぴったりと一致する。

その後の聞き込みで分かったことだが、陣羽織のようなウンピョウの毛皮は、世襲した頭目に受け継がれているそうだ。
そこで私はその毛皮をもう一度確認するために、紅葉村の胡家を訪れた。私が一八歳の時にお世話になった家である。

・紅葉村と少年野球隊
 私が二十三年ぶりに訪れた紅葉村は、昔の面影を全くとどめていなかった。
村までの道も皆舗装され、村の中には煉瓦の家が建ち並び、近代的な生活が営まれているようだった。
 村の入り口には、紅葉棒球紀念館ができて、観光客の姿も目についた。
棒球とは野球のことで、この山奥の村でも何とか活気のある子供達が育って欲しいと、一九六二年に始められた野球が、その後一九六八年には世界少年野球の世界大会で優勝するまでになったのである。
 私はその当時の彼等の練習風景を見ていた。彼等が世界大会で優勝した一年半前のことである。
 朝起きて部落の中を散歩していると、小学生の子供達何人かと出会った。どの子も、私を見るなりその場に起立の姿勢で立ち止まって、
「先生好!」(おはようございます!) とか、
「老師早安!」 (先生おはようございます)と挨拶をするのである。
 その当時私はまだ教員ではなく、大学一年生であったから、とても驚くと同時に感心したものである。
 暫く散歩して戻ってくると、小学校の校庭で彼等が野球の練習をしていた。見ると、道具らしい物は何もない。何人かが布で作った手製のグローブを持っている。バッターが持っているのはただの棒きれである。
 こんな子供達が、その一年半後に、世界少年野球大会の決勝で日本の和歌山代表と戦って勝ち、優勝してしまったのである。
私が二度目に台東に訪れたのが、一九六八年の八月だったから、彼等の凱旋記念パレードが台東市内で行われ、それはそれは賑やかだったことを覚えている。
 台湾の野球の歴史は日本にほぼ匹敵する。現在の国立嘉義大学の前身であった嘉義農林高校が、一九三一年に甲子園に初出場して準優勝したこともあるほどだ。

そんな野球少年の歴史を残したのが、紅葉棒球紀念館であった。しかし、どういう訳か、私より十歳も若い当時の野球選手達は全て亡くなっていた。
人伝に聞いた話だが、彼等は偉業を達成した後、少々の金も入り、あちこちからちやほやされて、パラチオン(米酒)の飲み過ぎで早死にしたそうだ。

・紅葉村へ
 村の様子がすっかり変わってしまっていたので、胡頭目の家がなかなか見つからず、あちこちに聞いて廻ったところ、あの時の頭目には三人の娘しか無くどうやら頭目の地位は彼の親戚に移ってしまったらしい。
そして、やっとの思いで頭目の家を見つけ出した。家の前のコンクリートのたたきには、トウモロコシが干してあった。

大声で「有人在嗎!」(誰かいますか?) と、声をかけた。
 すると、中からガッシリした小柄な男が出てきた。どこかで見たような気がする?

 「有什麼事????哎呀!Nさん!」(何か用ですか?…あれっ!Nさん!)
何と彼は、私の友人でもと台東県議会議員のL氏の親しい友であった。さらに、彼等が東京に来たときに一緒にお酒を飲み交わした仲でもあった。
 
 私は、今回この紅葉を訪ねた訳を話して、もしあるならウンピョウの毛皮を見せて欲しいと頼んだ。もちろん彼は断る訳もなく、喜んで見せてくれた。さらに、頭目の持っている色々な装飾品も見せてくれた。今のこの村の頭目は、彼のお父さんであった。

・頭目の3人姉妹
 直ぐにパラチオン(米酒)が出てきて、昔話に花が咲いた。昔の頭目の三人娘のことを話すと、二人の妹はすでに亡くなってしまったが、長女はまだ健在だという。長女の思い、日本人の花園巡査に対する思いが、彼女の命を繋いでいるのかと思ってしまった。
H 氏も今は県議会議員になっていた。昔の頭目の娘に会いに行かないかと誘われて、二つ返事でOKした。

 彼女はもう八十歳近くだった。足腰が少し弱くなってはいたが、頭はしっかりしていた。私の事もうっすらと記憶に残っていたようで、半時ほどお話をさせて頂いた。
 帰りがけに、彼女にお願いされたのは、是非日本から手紙を出して欲しいということだった。きっと、まだ花園巡査のことが忘れられないのだろう。せめて、花園巡査でなくとも日本から自分に手紙が来ることが、今の彼女にとってはとても嬉しいことなのだろうと思った。

・ウンピョウからセンザンコウへ
 その後も、ウンピョウの噂話があるたびに、あちこち飛び回った。新聞に、ウンピョウの子供が捕獲されたという記事を見た時には、かなり動揺した。しかし、それは一月ほど経って、カゴ抜け(ペットとして飼っていたものが逃げ出した)であった事が判明した。

泰国の動物園から、ウンピョウの飼育係が台湾に来たこともあった。早速台湾の関係者は、ウンピョウの生息地である大武山方面へと彼を案内した。そして、この環境ならウンピョウがまだいてもおかしくないという談話を得て、関係者は大変喜んだ。

私は、ウンピョウの調査をしながら、他の動物も平行して調べていた。特に気になっていたのは、その昔その辺に蹴飛ばすほどいたセンザンコウがほとんどいなくなってしまったことであった。
センザンコウは、日本時代にも女性用の靴やハンドバグなどに加工されて、相当な数が日本に移入されていた。ウンピョウはともかく、センザンコウの数が減ったのは少なからず日本に責任があると思っていた。

 私はまた選択を迫られていた。ここで、ウンピョウをさらに追い続けるか?それとも、比較的情報もあるセンザンコウを中心に調査を進めるか?

もしウンピョウを追いかけるなら、大武山の奥深くに入り込んで、仙人の様な生活をしながら、少なくとも二十年はかかるだろう。そして、二十年経った後で、結果は「絶滅」と言うことになるのではないか…。私はそう感じていた。
だとしたら、ウンピョウも諦めるしかないのか? もしそうするなら、タイワンカワウソも断念した方が良いかも知れない…。

それとも、オーストラリアで有袋類の調査をしようか?
 実はこのオーストラリアでの有袋類の調査は、その当時かなり現実味を帯びていた。下調べのノートも作っていた。
初めて教員になった学校で、英語の先生の奥さんがオーストラリア人で、その先生が家族でオーストラリアのブリスベンに帰ることになっていた。
 そのW先生の家に招かれたことがあって、有袋類の調査でオーストラリアに行きたいという話もした。すると、奥さんは私にテストをした。
パンに何やらピーナツバターのような物を塗って、私に食べろと言う。私は何の抵抗もなく食べてしまったら、奥さんは「Nさん!これで貴方はオーストラリアで問題なく生活できますよ!」と言ってくれた。
パンに塗った物は、オーストラリア人の大好物のベジマイトだった。

私はオーストラリア行きに前向きになったものの、台湾にも未練はあった。
 その選択の決め手となったのは、林業試験場の趙教授との出会いだったかも知れない。
 ある時、台湾大学のL教授の紹介で、台北にある林業試験場のT教授を訪ねた時、彼に一緒にセンザンコウ調査と台湾の自然保護をやってみないかと誘われた。
ウンピョウとタイワンカワウソには、彼は全く触れなかった。すなわち彼はその二種についてはもう絶滅したと判断していたのである。
人生の半分を台湾の動物と自然に関わったのだから、新天地オーストラリアの事はすっかり忘れて、私はその場で承諾してしまった。

かくして、T教授と出会ってからは、ウンピョウとカワウソのことは頭の片隅に追いやって、もっぱらセンザンコウを追い求めることとなった。

 人間の人生はどこでどう変わるか分からない。様々な人や様々な書物、様々な情報が、その時に自分が置かれている状況と絡まりあって、人生の方向をその時に決めていくのである。
 だからこそ、どんな友人を選ぶか、どんな書物を読むか、どんな情報を得るかということが大変大事なことなのであるが、その時にはあまり意識せずに流れに任せてしまうことが多いものである。
 また時には、何かから逃げたいとか、今は何もしたくないとか、はたまたつい最近失恋してしまったとか、家族とうまくいっていないとか、そんな状況が自分自身の人生の方向を変えてしまうこともある。 

その後のウンピョウに関してだが、調査は何度も行われてきたが、未だにウンピョウは発見されていない。

その中でも最も信憑性のある報告は、1990年に、玉野野生森林保護区で行われた調査で、河原の砂地に雲豹らしき足跡が発見されたということである。
 
 最も最近の調査は、2001年から2002年にかけて、農業委員会と国立屏東科技大学が行った調査であったが、その調査結果では、タイワンウンピョウは既に絶滅した可能性が強いと見ているようだ。

台湾からまた一つ大型哺乳類が絶滅したかと思うと、大変残念でたまらない。
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[2011/11/05 00:12] | 動物・蝶・昆虫
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