FC2ブログ
台湾台東に関わって40数年、その間に経験した楽しかったこと面白かったことびっくりしたことなど、現地の状況や日本との比較なども含めて紹介したいと思います。
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

アミ族の漁労文化

・海上漁労
アミ族の魚好きは、一般的に魚好きとされる日本人にとっても、驚くほどである。
 アミ族にとって、豚(リヨン)は豊年祭(収穫祭)や結婚式や選挙の時や、特別なお祭りなどの時に食べるものであり、普段は魚貝類を食べることが多い。
 漁労に関しては、海上漁労と河川漁労に分けられる。
 海上漁労では、打編み(投網、タフォクル)
、張編み(刺網、ティロ)、釣り(ミフティン)の三種がもともとの漁労形態であったが、日本統治時代には、引き網の一種である地引き網も行われていた。また、サディワイ(三角網)の大型のもの(サヴァン savan)で海岸沿いの小魚などを捕る方法もある。
しかし、台東沿岸は直接太平洋に面した海岸であり、その海岸の地形も変化することが多く、地引き網に関しては以前行われてた所でも現在では全く行えないような所が多い。小馬においても、その昔は地引き網を行っていたが、数年前にそれを再開しようとした者がいて、実際に行ってみたが、海底の地形が全く変わってしまったために諦めたということがあった。
もともと広く行われていた個人的な投網漁は、まだ良く行われている。私も付き合いで一緒に投網漁をしたことがある。
 しかし彼等の目標は、私などと違って大物狙いであるから、時と場所を綿密に計算して行っている。
彼等の目的とする魚のたぐいは、鯨、鱶、平鰺、太刀魚、鰹、鯛、飛魚、サバヒー(虱目魚)、コノシロ、鰯、鰆、ハリセンボン、海鰻、蛸、烏賊などであった。
最近では、キハダマグロ、バショウカジキなどが価値が高いようである。これはもちろん日本に輸出される。鯨については、どうやって捕ったのかはよく分からない。
飛び魚はヤミ族の主要な蛋白源であるが、アミ族もこの飛び魚をよく捕る。しかしアミ族の場合には、ヤミ族と違って縦網(ティロ)で捕ることが多い。東河近くの金樽港は、4月頃からトビウオ漁のテッパイ(塩ビ管で作った小型船)で賑わう。捕れたトビウオは、開きにしてから燻製にして出荷される。台湾の人や原住民は、トビウオの燻製で出汁を取ることも多く、かなりの需要があるようだ。

・河川漁労
河川における漁労も、昔は娯楽として行ってきたものの、現在では生活のために行っている者も多い。
 目的とする魚種は、オオウナギ、鯉、鮒、鰻、鯰、プラウ、河エビ、小魚などである。
その捕獲方法は、大正年代の「蕃族習慣調査報告書」によると七種類あったと記されている。

1.ミルダル。これは現在で言う所のタフォクル、すなわち投網漁である。

2.パリリク。投網漁の一種であるが、予め魚の好む餌をある所に置いておき、それをめがけて打ち網(投網)をする。

3.サディワイ。三角網。三角形になっている日本で言う「さで網」である。プラウを捕るのによく使われる。

4.ミトゥウブク 刺網を数カ所に張り、魚が上流に向かってくると、一カ所に集まるように仕掛けて、その集まった所に数人が待ちかまえていて、順次打ち編みをする。もちろん刺網にかかった魚も捕獲する。

5.パイダン 筌漁、竹製の筌(フォフォ)に餌を入れて手中に沈め、翌日引き上げ、籠の中の魚を捕らえる。これは実際にあるアミの人から譲って貰ったが、本当に良くできていて感心した。図を載せておく。

6.ミルダル 魚がいる池などの水を掻い出して、一カ所に集まった魚を投網やさで網で一網打尽にする。

7.ツンツン 魚をおびき出すために、竹や木の枝を水中に沈めて魚の隠れ家を作り、その廻りを竹で編んだ柵で囲い、一カ所だけ出入り口を作っておく。数日間待って、竹の柵の入り口を封じて、竹や木の枝を取り出し、そこに打ち網で捕らえる。またはさで網で捕らえる。

最近では、プラスチック製の筌「ソッカ」が手軽に入手できるために、主に小さな河エビ(カボス)を捕るのに使われている。河エビは、冷凍にした後にワサビ醤油で刺身で食べる。酒の肴には最高である。一端冷凍にすることで、寄生虫などを殺しているのだろう。これも彼等の生活の知恵である。

 彼等の大好物である「プラウ」については既に書いたが、これもザディワイで捕る。

 4月から5月頃の大雨の時に、海から川に上がってくるプラウは、河のちょっとした段差の下で真っ白になって固まっている。そこを、サディワイで一網打尽にする。
 プラウはどうやら、ハゼの仲間で日本で言うところの「素魚、シロウオ」に近いようだ。
しかし、日本のシロウオは幼形成熟(ネオテニー)でも有名であり、6cmほどにしかならないが、台湾のプラウ(3cmくらい)は川を上って、数日すると色が少し黒くなり、5cmくらいの「マモス」と呼ばれる魚になり、さらに成長して10cmになると「ハラ」と呼ばれるハゼ科特有の姿形になるという。本当にプウラがハラになるのかどうか確かなところはまだ分からない。

・海岸のカニ採り
アミ族ではカニのことを「カラン」という。彼等は魚と同様にカランが大好きである。海岸に行くと、砂の上にカニ穴が沢山見つかる。小さい穴は、1cm位のカニの掘った穴であるが、大きなものになると甲羅だけでも5cm以上になる。カニたちは夕方頃から活動を始めるから、夕方に浜辺に行って、走り回って捕まえると、みそ汁の具程度にはなる。
 でも、やはり大きなものを捕まえて食べたいのはアミも私も同じである。
 砂浜から草地になる辺りに、大きな穴が開いているので、そこに長い草の葉を入れ、それに沿って掘り進むと、大きなカニに当たることがある。ただこの方法は、時間がかかって疲れるのでやるのは私くらいなもので、アミの連中はやらない。
 彼等は、夕方バケツと仕掛けを持って浜に向かう。バケツは必ずポリエチレンのもので、ブリキのものはだめである。
 浜に付くと、潮の満ち引きを計算して、明日の朝までに潮が入らない所を選んで、砂の中にバケツを埋め込む。そのバケツの上に細い木の枝を渡し、その中間に餌を取り付ける。これでカニをおびき出して、バケツの中に取り込むというのである。バケツの中に入ったカニは、ポリエチレンのバケツだから滑って絶対に外に出ることができない。
 使う餌は決まっていて、雑貨屋で売っている瓶詰めのサッパの唐辛子入り塩漬けである。
これがとても臭いので、カニが喜ぶのだろう。このカニの取り方を教えてくれたのは、小馬のトミオであった。
 彼は小さな水田を作っている傍ら、しょっちゅう海に行っては釣りをしたりエビを捕ったりカニを捕ったりしていた。海にも潜って、ウニやサザエやトコブシも捕っていた。
若い頃には遠洋漁業にも従事した人で、本当に海のことをよく知っていた。
 私も釣りが好きだったので、よく小馬の海岸に釣りに出かけたが、彼は色々なことを教えてくれた。特に印象に残っているのは、南風の時には魚は捕れないと言うことであった。その理由はよく分からないが、本当に南風の時には魚は一匹も釣れなかったのである。

・虱目魚(サバヒー)
私は投網が好きだったので、暇があると東河の河口に行って投網をした。東河の河口は広く、いつもあちこちに刺網(ティロ)が張られていたが、私は岸から投網を打つのでほとんど影響はなかった。
 小魚やハゼの仲間、時には鰻の小さいものなども捕った。行く時はいつも小馬のおばさん(いつの間にか、私の台湾のお母さんとなってしまった人)が付いてきた。私が捕った小魚はいつもおばさんがスープにしてくれた。
 
 台風の時期になって南部で大雨が降ると、その数日後には東河の河口は人が溢れてくる。
 皆、刺網を所狭しと張り出すのである。
大雨で河川が増水して、台南当たりのサバヒーの養殖池が増水して、サバヒーが逃げ出すと、必ず島の沿岸を廻って台東まで来るのである。そして、海から川に入り込もうとするところを狙って刺網でサバヒーを捕獲しようという寸法である。
 サバヒーという魚は、ネズミギス目サバヒー科に属する魚だが、日本ではあまり馴染みがない。形態的にはニシンや鰯に近い仲間で、小骨が多く、私はあまり好きな魚ではないが、台湾の人達はとても好んで食べている。身が真っ白なことから、英語ではMilkfishと呼んでいる。最近では養殖で30cm位のサバヒーが市場に並んでいる。フィリピンなどでも好んで食べられている魚だそうである。
 市場の魚屋を覗くと、まるのままのサバヒーは、どういう訳か頭と尾を糸で縛って弓なりにして売っている。頭と内臓を取り除いたサバヒーは、他の魚と同じように、お腹を上にして並べてある。この魚の並べ方には、初めて見た時はびっくりした。
サバヒーは、スープにしたりお粥に入れて食べるのが一般的である。
 最近では、小骨を取った骨なしサバヒーも出回っている。
 
 台風で増水し、台南の養殖池からサバヒーが逃げ出したというニュースを聞くと、すぐさま東河の河口に人が集まるのも無理はない。
実際に、その時には本当に沢山のサバヒーが東河河口の刺網にかかるのである。
私はもっぱらそのサバヒーを安く分けて貰い、小馬のおばさんの家に持ち帰った。

・刺網(ティロ)
 刺網(ティロ)の方が投網よりも確実に大きな魚が捕れる。ただし、ティロを買ったとしても、私にはティロの張り方も分からない。
 東河の河口近くに、マサオと言う一人暮らしのおじさんがいた。年は六〇前後だが、蕃刀を作るのが上手かった。彼はまたティロの経験も豊富だったが、お金が無くてティロが買えなかった。以前、和平山で私の蝶の採集を手伝ってくれたこともあった人だ。
そこである日、マサオと一緒に台東の釣具屋に行って、ティロを買ってマサオに渡した。マサオには、魚が捕れたら小馬のおばさんに少しあげて欲しいと約束した。
その後、マサオは何回かおばさんの家にティロで捕った魚を持って行ったそうだが、一年もすると音沙汰が無くなってしまったそうだ。

 最近では、投網やティロもかなり規制が厳しくなり、東河の河口での漁労は禁止されてしまった。東河橋を車で渡る時に河口を見やっても、投網をしている人の姿は見られなくなってしまった。
私も年のせいか体力が無くなり、投網を打つこともほとんど無くなった。
関連記事
スポンサーサイト

[2011/11/06 23:36] | アミ族(阿美族)とアミ語
トラックバック:(0) |
コメント:
この記事へのコメント:
コメント:を投稿
URL:

パスワード:
非公開コメント: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック:
この記事のトラックバック URL
この記事へのトラックバック:
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。