FC2ブログ
台湾台東に関わって40数年、その間に経験した楽しかったこと面白かったことびっくりしたことなど、現地の状況や日本との比較なども含めて紹介したいと思います。
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

アミ族の結婚と結婚式

・婚姻適齢期 
 アミ族と一口に言っても、婚姻に関しては、地域によって色々な決まりが事細かに決まっているようだが、ここでは主に馬蘭や東河・小馬において聞きおよんだ事を基本に書き記しておきたいと思う。
日本統治時代初期には、彼らの伝統的な婚姻や結婚式が行われていたが、時代の変化とともに、最近では台湾式の結婚式が多く行われるようになってきた。
 彼等の昔の婚姻に関しては、基本的には婿入り婚で、男子は「カッパ kapa'h」(一六、一七歳から)を四年ほど経験して初めて結婚の権利が認められていたようだ。女子に関しては、乳房が大きくなると婚期に入ったものとされていた。
すなわち、彼等の結婚適齢期は、男子はおよそ二〇歳頃、女子はおよそ一五歳くらいからであろうか。
この頃になると、両親も良い相手を見つけるために結構躍起になって相手を探すようで、年に一度の収穫祭での何日にも及ぶ踊りの時には(男だけしか踊れない日もあるので、ほとんどが祭りの後半)、良い男の隣に自分の娘を入れて踊らせるという事もする。
あっさりと男と女が意気投合して、次の段階に入る事もあるが、なかなかうまくいかない事もある。
 
・ミタペ
 次の段階は、男の家に朝早くから夕方まで労働に出向く。これをアミ語では「ミタペ」と言い、小馬のおばさん(現在八〇代)の時代には必ずこのミタペをしたそうだ。身体も大きく力もあり、漁労・農耕に優れた男の家には、何人もの女がミタペに入る。そうでない男の家にはミタペをする女がなかなか来ないということもある。両親や男本人がなかなか踏ん切りが付かず、女もなかなか諦められないというような時には、ミタペは3年近くも続けることもある。短くとも3ヶ月以上はしなければならない。
 男の両親は、ミタペの間にどの女が自分の息子の嫁にふさわしいかを見極める。何人もの女がミタペしていると、女達の中でも自分は可能性がないとかもう少し頑張ろうとかという事で、徐々に女の数も減って行き、最後に残ったものが男を自分のものにするという事になる。ある時には、男の両親から「明日からもう来なくて良い」と言われる事もあるそうだ。
そして、男と女の両親の承諾により結婚となる。
 
・昔の結納と結婚
 蕃族慣習調査報告書(1914年)によると、結納(サバカティム)は、女の家から男の家に、米・豚の後ろ足・酒・餅などを送るが、その量は女の家の裕福さによって決まっていたらしい。 結納の翌日には、男の家族や親類縁者を家に招待して会食する。会食が終わると次は、女の家族・親戚が男の家に招待されて、酒宴となる。酒宴が終わると、女の家族は婿を連れて女の家に戻り婚姻の儀式(バカティム)が終わる。
男が女の家に婿入りするときには、上着・毛布・褌・鉄砲・蕃刀など、やはり持って行く品物が決まっていたようである。

 小馬で50年くらい前に行われていた実際の結婚(バカティム)の話を聞いてみると、
結納品に関してはほぼ同じである。この結納の品を持って行くときには牛車が使われ、女もこの牛車の上に乗って…、と言うわけにはいかない。女は歩き、荷物だけが牛車に揺られて婿の家に行ったようだ。当時は電話もないから結婚の日取りを急に変更することはできず、大雨でも何でも新婦は牛車と一緒にずぶ濡れになって歩いて、男の家まで行ったという。
男の家には、夜が明けて日が出る頃、すなわち朝の6時頃に着かなければならないから、その時間に着くように、新婦の友人代表や親戚代表は女の家を出る。少し遠いところからだと、まだ真っ暗な朝の3時4時には出発しなければならない。
男の家でも女の家でも、一日前から親戚縁者が集まって準備をする。部落の中は大わらわである。
男の家に着くと皆で一緒に朝食をとる。部落の長老(ファキ)が、一応の儀式をとりおこなう。
儀式が終わると、今度は男の友人、親戚などが、男の家に来た人達と一緒に、女の家に行って結婚の儀式が行われる。そして昼食となる。ご馳走はやはり、豚肉である。
宴会が始まり、夜になると新郎を残して男の友人親戚は帰る。
 二日目になると、両方の部落では「パクラム」といって、若者が海や川に魚や貝やエビやウニや海藻などを採りに行き、それをご馳走にまた祝いの宴会が始まる。
短くて3日、長い時には1週間も続くことがあるそうだ。

これら結婚に至るまでの過程や、結納や結婚の儀式や内容などは、地域によってまた時代によって、大きくあるいは細かな点で違っていたり変化したりしたようである。

・最近の結婚式
 ところで、最近の彼等の結婚は、ほぼ日本と同じようなものである。
昔のアミ族は、他族との結婚を嫌っていたが、今では、外省人でも、台湾人でも、他族(ピュマ・パイワンなど)でも何でもありといったところである。
 ただし、両親の承諾に関しては今でもかなり厳格であるが、日本と同じように「できちゃった結婚」も実際にある。さらに、昔のような婿入り婚はほとんど無くなり、女が嫁に入る形がほとんどとなった。

・外省人と原住民の結婚 
 私が不思議に思ったのは、アミ族の女と外省人、それも軍人の結婚が多い事であった。
アミ族はかなり長い間台湾人と接触しながら暮らしてきたが、その間台湾人から差別を受けて来たので、台湾人を嫌うアミ族は多かった。
 そこに、戦争が終結し日本が引き上げた後、光復の名の下に蒋介石率いる外省人が50万人もの軍隊を引き連れて入り込んできた(総勢120万人とも言われている)。その外省人の中には、大陸の故郷に妻子を残してきた者やまだ結婚していない者もいた。
 当然彼等の結婚対象となるのは台湾人の女であったが、外省人がやってきて直ぐに二・二八事件が起こり、白色テロにより多くの台湾人が犠牲になり、台湾人と外省人の関係は悪化してしまった。
こうなると、台湾人の娘を外省人に嫁がせる家庭はほとんど無くなり、外省人の嫁探しの標的は原住民に向けられたのである。その当時、台湾原住民は重い税金などにより貧しい暮らしを強いられていたから、金にものを言わす軍人を含む外省人の男達に、まるで娘を売るように差し出した。
年の差など問題としなかったから、六〇歳の外省人が二〇歳の原住民の女を嫁にするというような事も数え切れないほどあった。
ただし、中には本当に恋愛によって結ばれた外省人と原住民の娘がいた事も事実であることは、彼等の名誉のために書き残しておかなければならない。

この外省人の男と原住民の娘という結婚形態は、原住民と外省人の関係を近づける結果となった。いまでも、多くの原住民が選挙になると国民党に投票する。
台湾独立を叫ぶのは、太古の昔から台湾に暮らしてきた原住民ではなく、たかだか四〇〇年前に大陸から移住してきた台湾人の人々が多い。しかし、台湾人はかなり昔から平埔族との混血を繰り返してきた結果、本来大陸に住む人(彼らの出自地域)とはDNAレベルでもかなりの変異が最近になって確認されていると聞く。
台湾は本当に複雑な国だと感じる。

関連記事
スポンサーサイト

[2011/11/10 00:58] | アミ族(阿美族)とアミ語
トラックバック:(0) |
コメント:
この記事へのコメント:
コメント:を投稿
URL:

パスワード:
非公開コメント: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック:
この記事のトラックバック URL
この記事へのトラックバック:
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。